切り取ってよ、一瞬の光を

エンターテイメントの話

ポプステのための短い文章

渋谷で卓球をしたことがある。大人になってから知り合った友人4人で「学生時代に運動ができなかったせいで性格に歪みが生じた気がする」という話で意気投合し、できなかった同士で運動に挑戦してみることにしたんだと思う。東京に住んでいながら、若者が集まる渋谷はすこし怖くて、ビビりながら街を歩いた。卓球はやっぱり下手だったけど、気負わずにできて楽しかった。わるくないじゃんと思った。もう6年くらい前になる。

 

Sexy Zoneのアルバム「POP × STEP !?」がとてもいい。2020年にSexy Zoneが東京から発信するポップソングというコンセプトで、菊池風磨くんがSexy Zoneにはまりそうなテイストのアーティストを探して提案するなどしたという。おしゃれで洗練されていて、ポップでキャッチ―で聴きやすくて、アートワークもカラフルで可愛い。ほんともう最高。音楽面でどこがどういいのかは詳しい方が書いてくださっていると思うので、タイトルの「STEP」に「Sexy Zoneが Tokyoから送る EPisode」という意味が込められていることにちなみ、私は自分の東京のエピソードを書く。

 

東京で働き始めた頃は忙しかった。仕事の辞めたさがピークに達して、武道館でくるりの「東京」を聴いて号泣したこともある。私はそんなに仕事ができる方ではないので、とにかく周りの人が余計なストレスなく働けるように、なるべく優しく親切にしていたら、転職する後輩に「いつも優しく丁寧に教えてくれて、たくさん助けてくれてありがとうございました。この部の良心だと思っています」と言われた。後輩は辞めちゃうけど、私も仕事は全然すきじゃなかったけど、その言葉で、武道館で泣いていた私が報われた気がした。

なんだかんだで今も同じところで働いているものの、職場は確実にその当時より良くなってきていて、長時間労働も、無理な営業も、意味のない面倒な規則もかなり減ったし、私も仕事で抑えるポイントが分かって、自分の得意なことができて、まあまあ良いかんじに働けるようになった。

 

自分はだんだん良くなってきていると思っているけど、当然、いつもちゃんとできているわけではない。家で子どもに怒りすぎてしまって自己嫌悪におちいることはしばしばある。ある夜寝る前に、怒りすぎちゃってごめんね、と子どもに謝ると「そういう時もあると思うから僕はへいきだよ。でももう少し優しく言ってほしいな」と言われた。めっちゃ寛容。優しい。

そんな子どもも機嫌が悪い時があって、寝る前に「ゲームする時間がちょっとしかなかった。きょう何も楽しいことなかった」とぶつくさぼやいていた。もう遅い時間だったけど、このまま寝かすのも良くないなと思い「楽しかったことを思い出してみようよ、一緒にぬりえをしたの楽しかったよね。他にある?」と問いかけると、子どもは少し考えて「いちごがおいしかった。もう少しゲームができたら良かったな。明日やろ」と言って、しばらくして眠りについた。私もがんばるから、いい感じに育ってほしい。

 

 

先日、ジャニーズ関連で知り合った年下の女の子と渋谷で遊んだ。彼女は違う県に住んでいて、そのときは仕事で東京に来ていた。アイランドストアでジャニーズの写真を買い、好きなジャニーズのことをしこたま話した。彼女がファンレターを書くのに付き合って、カフェでキャッキャしながら一緒に考えて書いて、ジャニーズファミリークラブのポストに投函した。定期的に書きたいねと話して、ロフトで可愛くてさわやかなレターセットを買った。

アルバムの発売直前なのに、渋谷のスクランブル交差点にあった「POP × STEP !?」の大きな看板はあいにく別のアーティストに代わっていたけど、アルバム楽しみ、コンサート初日に福井で会いましょう!という話をして別れた。私は、30歳を過ぎてからこんな遊び方ができるとは思っていなかったな、最高、と思いながら帰った。

 

とりとめのない東京のエピソードだが、なんとなくセクシーの精神を感じる話を選んでみた。セクシーの精神とは、優しく誠実であること、可愛く楽しくあること、好きなものを大切にすること、ちょっとずつ良くしていこうと努力すること、自分も相手も受け入れて愛すること、などだと思っている。「POP × STEP !?」はポップを基調にバラエティに富んだ曲が揃っていて、そして曲調や歌詞の随所にセクシーの精神が宿っている。私はそこが特に好きだ。

 

 

いやなことばかりだったなと思う日、寝る前に聴くと、いやな気持ちをチャラにして、いい気分で締めくくれる曲が揃っている。通勤途中に聴いて気分を上げたり、気持ちよく晴れた休日の午前中に洗濯物を干しながら聴いたり、どうしようもなく悲しくてやりきれなくて自分が嫌になってしまった時に聴いて受け止めてもらったり、余裕のない時でもひといきついて、優しくなれるような音楽。

手の届く範囲はどうにかできるように、ちょっとずつがんばっていい方向にむかって、自分にも相手にも優しく誠実に、仲良く楽しく機嫌よくやっていきたくなる、Sexy Zoneと一緒に。私にとって「POP × STEP !?」はそういうアルバム。2020年、これから東京の思い出に「POP × STEP !?」が加わると思うと、本当にワクワクする。

より良く生きるためのSexy Zoneと風磨くんへのアンビバレンツ

初めてSexy Zoneのコンサートに行ったらすごくよかった。生で見た菊池風磨くんがすごくよかった。Sexy Zoneが創る新しい時代、すごくよいのでは?

以下、コンサートのネタバレをしています。発言はほぼニュアンスです。

 

 

2018年の冬のはじまりに、ミュージックステーションSexy Zoneが披露したすっぴんKISSとカラクリだらけのテンダネス。特にテンダネスはジャニオタの心に刺さる良さがあって、関ジャニのファンである私は羨ましいと思いながら立て続けに3回見た。次の日も見た。気がつくと毎日見ていた。以前「ぎゅっと」が聞きたくて買ったままのアルバムrepainting初回限定盤Bを押入れの奥から引っ張り出した。レコーダーを探すと、Sexy Zoneモーニング娘。‘17とコラボしたLOVEマシーンの映像が残っていた。

私はジャニオタとして正しい判断をしていた。それらは啓示だった。Sexy Zoneへの過去の断片的な興味と好意が組み合わさって、色付きの立体になる感覚。そしてエグい初速でSexy Zoneにハマってしまった。

 

菊池風磨さんを信じていいのか問題

私が本格的に興味を持つ直前だったが、松島聡くんが療養するというニュースは知っていたし、その判断に至るまでの彼の状況やメンバーやファンのことを思って胸が痛んだ。ジャニオタなのでケンティこと中島健人くんのことは当然好きだったし、グループに対しても「お顔が良くて真面目ないい子たち」という漠然とした好感を抱いていた。その中で少し風磨くんは浮いているようにみえた。

数年前カラフルEyesをテレビで披露している頃、チャラい長髪だったのにいつの間にかハイトーンのショートヘアになっていて、そっちの方が似合うな更生したのかな、と思ったことを覚えている。それでもクラスの目立つヤンチャな男子の気配がして好きにはならないタイプだと思っていたはずが、セクシー達の映像などを見ているとだんだん、風磨くんいいな、賢いし羽二重餅みたいで可愛いな、と思い始めた。しかしそれと同時に、「そういうとこだぞ」という相反する感情も抱いていた。列挙すると多くなるので図にしてみた。

 

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私はアイドルに恋愛要素を求めたり、性的な目で見たりしたくないと思っている。だからシャツをめくって腹や乳首を見せるのはヤメテ!みだりに腰を振らないで!と思ってしまうし、STAGEコンのベッドシーンなんてこわくて1回しか見ることができていない。
大人の恋愛っぽいソロ曲が多いのに「自分で曲を作る時は実体験に基づいて書く」と言っているのも「やってんなァ~菊池」くらいに思いたいが、執着してしまったら受け取り方が変わってしまうかもしれない。形容しがたい感情で苦しんでのたうちまわりたくない。破滅だ。オム・ファタール。

 

そして、風磨くんは自分に似合うものがわかっていて、やりたいことが明確で、それを実現するアイデアとスキルとセンスのある人だから、彼が異端児のようにみえるSexy Zoneでではなく、ひとりで、あるいは別の仲間とパフォーマンスするようになってしまうのではないかという不安がちらついていた。

ラジオでは「Sexy Zoneには品のあるかっこよさが似合う」と語り、雑誌での「Sexy Zoneで青春したい」という発言など、その不安への反証はたくさんあったし、彼が主に構成や演出を担当したコンサートであるSTAGEもrepaintingも、グループと個々のメンバーの魅力が引き出された素晴らしいコンサートだった。それなのに、もうこれは過敏になってしまった私の穿った見方のせいなのだが、どうしてもその不安がぬぐえなかった。

アイドルにはやりたいことをやってほしいし、誰の気持ちがいつどう変わるかなど本当にわからない。「信頼」という重い言葉を一方的にアイドルに求めるのは横暴だと思う。私が勝手にそんな不安を抱えて応援することは、本人にも他のファンにも失礼だと思ってモヤモヤと葛藤していた。

 

菊池風磨さんを信じていいのか。

私はSexy Zoneなら風磨くんが好きと言いつつも、バチバチに紫色の服を身にまとっているにもかかわらず*1、生で見たらやっぱりケンティすごい!すき!となるかもしれないし……と、いつでも踵を返せるように、後ろに引いた片足にいくらか体重を乗せた状態でコンサートに参加した。

ちなみにジャニオタになって初めて作ったうちわも持参した。うちわ作成のきっかけは、友達*2が紫色を基調としたうちわを作ったときの材料のあまりを譲り受け、それがちょうど風磨くんのメンバーカラーと一緒だったためだ。たまたま紫の画用紙が余っていただけなんだからね……と思いながら東急ハンズで足りない材料を買い込み、3時間かけてうちわを作った。

 

PAGESコンサートのこと

結果、生で見た風磨くんはとてもよかった。白くてツヤツヤしていて、赤い髪とピンクの衣装がよく似合っていた。歌もしゃべりも安定感があって上手かったし、ステージを縦横無尽に走り回りにこやかに手を振って、全力でパフォーマンスしていた。自信と余裕にあふれていて、腰を振ったり腹を見せたりしなくてもセクシーで、色気がにじみ出ていた。実際、風磨くんは腰を振って腹を見せていたが、私は「ア~そういうとこ!」と思いながらもまんまと歓声を上げた。椅子のときも叫びながら凝視した。あんなに恋愛目線で見たくないと思っていたのに、ソロの映像では風磨くんと横浜でデートした記憶が脳に植え付けられてしまった。すごくよかった。

一緒に入った方が風磨くんのファンで、ネットでもリアルでも初対面だったにもかかわらず、風磨くんが何かやばいことをするたびに、私は彼女に「やばいです」と訴えてしまった。

特にハッとしたのが「make me bright」のダンスで、余裕があって気だるいのに止めがきれいで、アーバンでチルいこの曲にマッチしていた。音に乗る感じがMummy-Dみたいでかっこいい(私はヒップホップ的なものの中でMummy-Dが一番かっこいいと思っている)と思った。私は結局、この日のために購入した防振双眼鏡を構え、ほとんどずっと風磨くんを追っていた。

 

セクシー達はみな可愛くてかっこよくて一生懸命だった。ケンティは一瞬の隙もなくずっとケンティで、脚がとんでもなく長かった。コンサートのためにワックスで一時的に染めていた銀髪の襟足から汗がしたたり落ちる瞬間を肉眼で見て、あまりの美しさに私は鍾乳洞をつくる悠久の年月のことを思った。MCで「菊池はどう?」とさりげなく訊いたその言葉の響きが良すぎた。ふまけんすごかった。

勝利くんは顔の大きさがおにぎりくらいしかなく、今まで見た人間の中で一番整ったお顔をしており、センターに立つ者の気高さがあった。風磨くんとケンティがシャツをはだけまくるエッチな曲において、勝利くんはシャツの腕まくりをしていて、コンプライアンス遵守アイドルでとてもよかった。あいさつでは「一番上からの景色を見せる」と語っていて、美しい容姿に秘められた熱い闘志が眩しかった。

マリウスくんは美術館から意思を持って抜け出してきた彫刻のようで気品に満ちており、それでいて優しく可憐な笑顔を振りまいていた。ソロ曲では様々なマリウスくんがたくさん出てきて文字通り目が足りなかった。MCではトークの受け流しやボケが絶妙で、さらに柔らかくもド正論なツッコミでアリーナを揺らす爆笑をさらっていた。

 

コンサート全体もとてもよかった。PAGESは大人っぽくておしゃれなアルバムだという感想を持っていて、それと雑誌で彼らが語っていた「去年一昨年は魅せるライブだったが、今年はより一体感のあるものにしたい」というテーマがどう組み合わさるのか、想像がつかなかった。

しかし蓋を開けてみると、大人っぽさとおしゃれさのある曲はその魅力がより増すような演出で披露されたし、アルバムで異彩を放つパンチの効いた曲は要所に据えられていて盛り上がりのフックになっていた。それでいて聴かせるところは引き込んで聴かせる演出で、メリハリが効いているのにストーリー性があって、「人生のページ」というコンセプトが一貫していた。映像や特効や舞台装置の使い方が上手で、気が緩む瞬間が全くなかった。

そして観客の声援を受けたセクシー達が本当に嬉しそうで、さらに輝きを放ってそれに応えてくれて、ファンもコンサートの一部になったような空間だった。ケンティの「Say令和!」\令和!/というC&Rも盛り上がったし、ステージ上で大縄跳びをする場面でセクシー達が飛ぶ回数を大声で数えているとき、体育祭のような一体感を感じた。勝利くんが「みんなの歓声がすごくて、4日目だけど疲れを感じない」と言ってニコニコしているのを見て、こちらも嬉しくなった。ステージを駆け回り、疲れた様子も見せず全力で歌い踊る彼らのことが、ますます大好きになってしまった。

 

寂しさの受け止め方について

コンサート本編最後の曲である「CRY」では、せり上がったセンターステージ中央に空いた穴に、星の形をした紙吹雪がキラキラと降り注いでいた。4人は四辺に立ち中央を向いて、観客の視線を背に受けながらそれを見つめていた。降り注ぐ星は彼らの涙のようで、美しく静謐な時間だった。そして曲の終わりと共に、吸い込まれるようにふっと穴に飛び降りた。ファンの涙と寂しさを引き受けて消えたようだった。

やがてモニターにリハーサル風景が流れ、最後の最後に、直接的に聡ちゃんを表すアニメーションが映し出された。胸がぎゅうぎゅうに締め付けられる、大きな大きな愛だった。

誤解を恐れずに言うなら、PAGESコンサートはとてもプロフェッショナルなコンサートで、哀愁の加減が私にとってはちょうどよかった。私が入った回で彼らは聡ちゃんの不在に言及しなかったが、5人で歌う曲という印象の強いカラフルEyesがセトリになかったことや、メンバーが聡ちゃんのメンカラである緑の衣装を着ていたなど、端々に聡ちゃんとそのファンへの愛がうかがえた。いたずらに「エモい」で消費することなく、優しさをもって配慮しつつも最大限に楽しませようとするスタンスを彼らは選んだのだなと思ったし、それが絶妙でセクシー達にとてもよく似合っていた。本当に、濃密できらびやかで優しくてあたたかいコンサートだった。

 

聡ちゃんが休養に入ったあと、紅白の直前インタビューで風磨くんは「寂しさを感じさせないステージにしたい」と言っていた。コンサートについては、「より近くに」というテーマで、「みんなの心に寄り添えるライブにしたい」と語っていた。彼らは一貫してファンが寂しくないように考えて考えて趣向を凝らして真心をこめてステージを作っていた。

横浜アリーナの最終公演に入った方によれば、風磨くんは最後のあいさつで「寂しさを感じさせないようにいつも以上に走り回ったりしたけど、寂しくなくなることがいちばん寂しい」という趣旨のことを言ったらしい。

ああ、そこまでファンのことがわかっている人なのかと思った。光が強ければ強いほど、寂しさの影が濃くなってしまう。コンサートの完成度が高ければ高いほど、満足感と同時に後ろめたさのような気持ちが生まれてきてしまうことを、他ならぬ彼らが感じていたのだろうけど、風磨くんはその感情さえも肯定した。

 

PAGESコンサートをつくった菊池風磨さん、めちゃくちゃ信頼できるな、と思った。生の風磨くんはとてもアイドルで、説得力があり、Sexy Zoneで輝いていた。勝手におびえたり不安を抱いたりして申し訳なかったと心から思った。

前述の風磨くんのファンの方が「風磨くんは本当にアイドル。魅せるのが上手で、ファンが喜ぶことや悲しむことをよく理解していて、いつだってまずグループのことを考えているように見える」と言っていた。本当にそのとおりだった。

 

PAGESを聴きSexy Zoneを見て自己肯定感を育てよう

PAGESはよく出来た夢のような、幸せになれるコンサートだった。一緒に入った人たちと「Sexy Zoneを見て育ちたかった。今の若い子たちが本当に羨ましい。思春期にSexy Zoneを好きでいたら、ずっと生きやすかったしもっとまっすぐな人間になっていたと思う。セクシーは教育に良い」という話をした。

この大コンプライアンス時代にあって、大勢の前に立つ人は歌や踊りやしゃべりや演技だけではなく、他者理解や配慮や正しい立ち居振る舞いが求められる。感性の古さや失言は命取りになりかねない。しかしSexy Zoneは聡く優しく、軽やかにナチュラルにそれをやってのけるようにみえる。Sexy Zoneから道徳を学び、大きな愛をもらいたかった。家族の愛情に包まれてすくすくと育ってきたセクシーたちを見て、自己肯定感を育みたかった。

そんなことを思うと同時に「私もより良く生きたい」という意志が湧いてきた。大人になった今からでも、自分に自信を持ってより良く生きるのに遅すぎるということはないのではないか。

 

私は自己肯定感が低く生きにくい思いをしてきた。今もすぐにクヨクヨ悩んで落ち込む。自分の子どもは自己肯定感をきちんと育ててあげたいと思っているが、些細なことで腹を立ててしまう。そんな怒りっぽい自分が嫌になり、もうロボトミー手術しかないと何度も思いつめた。我慢や努力もせず解決法を外に求めてしまう自分の安直さにも嫌気がさしていた。

コンサートで風磨くんは「つらいとき今日この日のことを思い出してもらえれば、そんな1ページになれば」と言い、勝利くんは「時代を創っていく」と言った。コンサートが非日常であるとか、新しい元号の時代で売れるとか、シンプルな意味はもちろんあったと思うが、もっとアルバムPAGESとSexy Zoneという存在の本質を突いたような発言のように感じる。あらためてアルバムを聴いて歌詞を読んで、「喜怒哀楽を収めた人生のアルバム」というアルバムとコンサートのコンセプトが心身に染み渡るように理解できた。

たとえば「恋がはじまるよーー!!!」の「自分100パーいいと思う ンな人メッタにいないでしょう?」からの「人生はパレード自分が主人公 いつでもスポットライト浴びなくちゃ 意味が無い!!!」なんて座右の銘にしたくなる名文だし、「ゼンゼンカンケイナイ」の「他人と比べては傷ついて 他人の目を気にしてまた同調 コンプレックスは最大の個性 自信なんて誰もない」を聴くと力が湧いてくる。

そしてCRYの歌詞。音源を聞いているときやコンサートでは「なんか風磨くんがグア~ッと歌う英語のところいいなァ」くらいに思っていた部分には、「Go Love yourself」と書いてあった。それに気づいた瞬間、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。私にとってはそれが救いであり、福音だった。Sexy Zoneはぐちゃぐちゃな思いで生きてきた大人の私を受け止めてくれたような気がした。キラキラして優しくて思慮深い年下の男の子たちの存在が頼もしくてありがたくて、私は夜中にひとりではらはらと泣いた。

 

よりよく生きようとする意志は行動と考え方を変える。ひとつひとつできたことを認めれば、自分を認めることができる。しかしその意志は時として理想と現実のギャップに苦しむ原因にもなりうる。それでも、Sexy ZoneとPAGESは優しく受け止めて、つらい時は泣くことを許して慰め、腹立たしい時は一緒に怒ってくれる。うまくいかなくたって仕方ないと思わせてくれるし、そんなときは立ち止まって休むのもいいし、一緒に前に進む力をくれる。

アルバムとコンサートのラストを飾る曲「いつまでもいつまでも」で、Sexy Zoneは「まだキミが知らない自由や愛がある だから ここへおいで涙ふいて 僕がキミの想い連れていくから」と歌う。なんという、BIG LOVE……

 

そう遠くない将来、Sexy Zoneの大きな愛が波及し、あらゆる壁を越えて全人類がメロメロになって、ひとりひとりが正しく自分を愛し、他者に優しく、より良く生きようとする意志が湧いてくるようになるのではないか。Sexy Zoneが創る新しい時代、生きやすいに決まっている。そもそもSexy Zoneを好きになったという事実をもって自己は大いに肯定されるべきだ。私もロボトミー手術で脳をいじらなくて済んだ。なぜなら代わりに風磨くんと横浜でデートした記憶が植え付けられてしまったから。

 

長年Sexy Zoneを応援している友人は、コンサート後に「ぜひ完全体のSexy Zoneも見てほしい」と言っていた。ピュアで天然なのにステージではバキバキに踊り色気を放つ聡ちゃんが見たい。一緒にいるところが見たい。PAGESも強かったのに、5人揃った完全体のSexy Zone、どんだけ強いんだよ!と圧倒されたい。楽しみだ。だからゆっくり休んでほしい。

 

菊池風磨のオンナ」というワード

2017年末の紅白で「ぎゅっと」を歌ったあと、風磨くんがさいごに「優しい一年にしましょう」と言ったのが印象に残っている。幸せな一年でも、楽しい一年でも、あたたかい一年でもなく、優しい一年。その言葉選びが好きだなと思う。

風磨くんはブログで、PAGESコンサート横アリ公演について、最高だったと前置きしたうえで、自分に課題があるとして「もっともっと追い込んでいく。まだまだこれから見せつけていこうよ」と語っていた。風磨くんには何が見えているのか。その知性と優しさと瑞々しい感性で、これからSexy Zoneで何を見せてくれるのか、とてもワクワクする。

 

横アリの私的2日目に一緒に入った友達に「菊池風磨のオンナになったの?」と訊かれて、あまりのワードの強さ*3におののいて反射的に「違う!」と否定したら、「菊池風磨のオンナはみんなそう言うんだよ」と言われてこわかった。そんなつもりはないが、このブログだって元々は自己肯定感を主軸にして感想を書こうと思っていたのに、いつの間にか風磨くんについてかなりの文字数を費やして図まで作ってしまった。……なんか、そういうとこなんだよな、マジで!

*1:コンサートには好きなアイドルのメンバーカラーの服をきて参戦すべしというのが関ジャニファン界隈の風潮だと思っていたが、セクゾ現場ではカラーギャングが少数派だった。

*2:この友達はハロオタで、うちわはコンサートではなく、メンバーカラーが紫色の友達の誕生日を祝うために作成した。友達のメンバーカラーという概念がある。

*3:菊池風磨のオンナ」、大きいGジャンの襟を抜いて着て、でかいフープピアスにサングラスとM・A・Cの赤リップという感じがする。

予定されていた鑑賞会とすばるくんの話


前々から予定していたことですが、よりによって4月15日に、大人数かつ大画面で関ジャニ∞を観る会に参加しました。

 

不穏なお知らせメールを目にして、まさかね、いや冷静に考えていいお知らせなわけないよな、を繰り返しながら長い長い1時間強を過ごしました。こんなことならひと思いに言ってくれと思いました。ワンクッション挟む意味あるのか、不安を煽りすぎてクッションになってないよと思いました。

ファンクラブページは案の定繋がらず、先にツイッターで把握して、色味のないお知らせページを見ました。会見でのスーツ姿のすばるくんをネットニュースで見ました。

 

とにかく信じられなくてぼんやりとしながら、でも集まるのが今日でよかったと思いながら、動揺のあまり集合時間も乗換もハチャメチャに間違えて遅刻して辿り着きました。

友人たちと、どうするよ……と言いながら、それでもジャムコンのオープニングに高揚感を煽られて、でかい画面に映し出される顔のいい男性たちに歓声を上げました。

 

ライオンで吠えるすばるくんを見て息を呑み、象で命を燃やすように歌うすばるくんを見て言葉を失い、Trafficで照れたように微笑むすばるくんを見て悲鳴を上げました。

こんなにアイドルなのにどうして辞めてしまうんだとか、すばるくんがいなくなったらこのパートは誰が歌うのか、そもそも今後歌われないのではとか、ニュースを知った時点では現実味がなかったことがひとつひとつ突きつけられてきました。

なんでなん……嘘でしょ……とぽつぽつと話す声がだんだんとすすり泣きに変わって、お通夜のようでした。三十代の女性6人が集まってアイドルのコンサート映像を見ながら嗚咽していました。

 

時折、「えっ顔が良い」「りょおちゃん」「可愛い」等と浮かされ、MCで楽しくて仕方がないように笑う7人の姿を見て泣き笑いして、JAM LADYからの流れで踊り狂って、やっぱり関ジャニ∞のコンサートは最高に楽しいなと思いました。

いちばん心をえぐられたのは、「キング オブ 男!」の「つっぱって!」で手に手を取るすばるくんと嬉しそうに笑みをこぼす亮ちゃんの姿でした。亮ちゃん、すばるくんのこと大好きなのに大丈夫かなと思い、もうこの光景が見られないことが受け入れられなくて、手が震えました。

 

「Answer」と「ノスタルジア」について、私はこれまであまりのエモさにそれ以上のことを言及できずにいましたが、「三馬鹿と年下4人って、特に何周年でもないのに随分と強いカードを切ってきたな」と思っていました。でもそれは結果としてすばるくんが参加する最後のユニット曲になってしまいました。すばるくんが意図したのではなく、誰よりもオタクの目線で関ジャニ∞を見ている大倉くんの発言から実現したことが奇跡のようです。

 

私にとっては三馬鹿の歴史に触れるのはおそれ多いのですが、はじけるような笑顔でキックボードに乗っていた細っこい少年たちの構図を、人気アイドルとなった仲良しおじさんたちが再現しているのを見るだけで、共に過ごした時間の重さを思って胸を打たれます。関ジャニ∞もそうですが、特に三馬鹿は、ひとりひとりは少しいびつなのに、組み合わさった時にお互いを補い合うようにぴたっとはまって、ひとりのときより何倍にも強くなるところが好きでした。

 

別れの曲なのに「みなさんへのラブソングです」と紹介されることに違和感を覚えていた「I to U」は、すばるくんが関ジャニ∞のコンサートで歌った最後の曲として聴くと、まあ見事にそのとおりでした。

 

あらためて観ると、関ジャニ∞の歌は、夢を追う、進むべき道、共に歩む仲間、迷っている背中を押すといったテーマの曲が多いことに気付かされました。ずっと私たちが励まされていた曲だったのに、コンサート当時には既に夢を追うことを考えていたすばるくんとそれを知らない6人が歌う曲が、すべて今のすばるくんと関ジャニ∞のことを歌っているかのように響いてきました。楽しくて前向きで力強くてかっこよくて優しくて少し切なくて、どれも大好きな関ジャニ∞でした。

よりによってこの日に集まれて、まだちゃんと自覚できていない傷にジャムを塗り込んで、関ジャニ∞が大好きだという思いを共有できてよかったと思います。そうでなければもっと深刻なことになっていた気がします。

 


すばるくんは不動の赤でセンターで愛される才能を持った人です。「すばる」はどうみても主人公の名前です。少なくとも私が見ていた関ジャニ∞のファンのみなさんは「うちには渋谷すばるがおるんやぞ~~ドヤァ〜〜!」と思った経験があると思います。それくらいすばるくんは強い存在です。

私が好きな横山くんは特別な存在だけど、別枠ですばるくんのことも特別に思っていました。それは横山くんにとって、関ジャニ∞にとって、すばるくんが特別な存在だと思っていたからです。事の重大さを説明したかったのですが、なんだかヴェルタースオリジナルみたいなことを書いてしまいました。

つまり、グループからメンバーひとりが抜けるのは単なる引き算ではなくて、グループを変容させてしまう事態です。関ジャニ∞はキャリアのあるプロだしそんなにヤワな人たちではないと思っていますが、グループをグループたらしめている核のように見えていたすばるくんがいなくなって、実力や商業的にではなく、心の拠り所がなくなってしまわないか心配です。

【追記】

蛇足ですが、すばるくんだけが圧倒的な存在というわけではなく、関ジャニ∞はひとりひとりが同じ大きさのパズルのピースで、真ん中に嵌るのがすばるくんだと思っていました。

 

私はアイドルのすばるくんが好きでした。すばるくんは音楽の神様に愛された人だと思います。そのすばるくんが、アイドルとして関ジャニ∞のメンバーと音楽で高みを目指すところを見ていたいと思っていました。すばるくん自身が口にしていたとおり、そう遠くない将来、他のアーティストが誰も敵わない唯一無二のグループになると思っていました。すばるくんのいる関ジャニ∞でそれが見られないのが残念で悲しいです。

関ジャニ∞のメンバーがもっと若くて不安定だった時期や、閉塞感を打開しようとしていた「新年会」の頃ではなくて、どうして今なんだろうと思います。絶好調だし、何も不足はないように見えます。メンバーに散々音楽のこと好きにさせといて、すばるくんよぉ〜〜!!と思います。

 

でも、当たり前ですが、すばるくんの人生はすばるくんのものです。会社員なら、目指す道への手段として退職や転職をするのはよくあるし、仕事や会社がクソでやってらんないから辞めるのもアリだと思います。

だから、お母さんに「五千円あげるから」と言われて受けたオーディションから21年、不遇な時も不安定な時もあったはずなのにずっとジャニーズを続けて、ここ数年は全力でアイドルしてくれた36歳のすばるくんを思うと頭が下がるし、ありがたいなぁという気持ちです。

 

 

会見やメンバーのメッセージ、ネットのニュースなども見ました。

もしすばるくんを説得できる可能性があったとするならそれを任せられるのは横山くんで、最後通告の役割を担えるのは村上くんで、好きすぎて何も言えなくなるのは丸ちゃんで、包み込むように受け入れて背中を押せるのはヤスくんで、しつこいくらいに止めて最後は尊重するのが亮ちゃんで、ファンが訊きたいことを全部訊いてくれるのは大倉くんで、みんな私が知っている関ジャニ∞で、悲しいのにわかりすぎて笑ってしまいます。決心した目でこくりと静かにうなずくすばるくんの姿も目に浮かぶようです。

 

でも私は呑気で鈍感なオタクだったので、何も気づきませんでした。決意したすばるくんも、どうにかできないかと心を砕いていたメンバーも、裏で起きていたことをとても上手に隠して仲良く人前に立っていたのだなと思います。プロの仕事です。

ただ、誰も悪くないのに大好きな人たちが葛藤して悲しんでいたことと、自分が何も気づかなかったことが辛いです。関ジャニ∞があまりにも魅力的で仲良しで楽しそうで強かったから、夢のような時間がこれからもずっと続くような気になっていました。

 

 

私は関ジャニ∞のファンになるまで、家族でも友人でも恋人でもないのに、自分の生活や人生にめり込んで色を変えてしまう存在を知りませんでした。

いわゆる「推しの尊さ」を体感できたおかげで、世の中には様々な「推し」を持つオタクがたくさんいて、「推し」はその人にとって価値ある存在で、応援したり元気をもらったり、時には「推し」のことで落ち込んでしまうとわかりました。ジャンルが違えど「推し」に対するオタクのマインドはだいたい同じだなと思いました。

 

関ジャニ∞のファンになっていなければ、今回のことでショックを受けている人を無神経に茶化したり、軽率にわかったようなことを言ってしまっていたかもしれません。

「推し」を持たない人に共感を強いるつもりはありませんが、オタクにとっての「推しの尊さ」を理解できるようになったのは、私が関ジャニ∞好きになって良かったことのひとつです。

 

 

ものすごくとりとめのないことを書いてしまいました。情緒が現れています。

数日経ちましたが、「すばるくんがいなくなって6人の関ジャニ∞が失速したとかすばるくんも辞めない方が良かったなんて言われたら耐えられないからめちゃくちゃに推してやる」という気持ちと、「すばるくんがいなくなるなんてそんなことあっていいのか」という気持ちが交互にやってきます。

関ジャニ∞が大好きで、ファンになって楽しいことがたくさんありました。本当は7人でずっと仲良くキャッキャして笑っていてほしかったけど、すばるくんのセンスと愛がある笑いをもっと見ていたかったけど、関ジャニ∞もすばるくんも楽しく幸せに暮らしてほしいし、彼らが納得できる形で成功してほしいと思います。そしてまた交錯する時が来ることを願わずにはいられません。がむしゃらで強くてかっこいい人たちなので、今の悲しくてやるせない気持ちを覆すような、想像を超える日が待っていると信じています。

 

右肩上がりのトリックスター/「担当」をめぐるあれこれの着地点

前回の記事で、ブログを書くこだわりについて散々語った挙句「担降りブログは文学だと思う」とまで言って、ハードルをぶち上げたそばからこういうことを書くのはとても気恥ずかしいのですが、自分の中で整理がついたので書き記しておきたいと思います。

 

 

独りよがりは承知

私の「担当」について、これまでのあらすじは次のとおりです。

・安田担のはずだったのに横山くんのかっこよさがしんどい
・なぜ私はこんなにミーハーなのか?担当とは何か?と地獄の業火に焼かれる
・趣味だしそんな悩む必要なくない?関ジャニ∞のファンってことでいいや

以降、私は特に「○○担」を名乗らず、ゆるい箱推しとしてファン活動をしてきました。また、私は関ジャニ∞全員と愉快なジャニオタが好きなので、ツイッターでフォローしたりブログを読んだりするときに、書き手が誰の担当かをあまり重視していません。私が誰担を名乗るか、名乗らないかは些末な話で、他の人にとっては知らんがな案件だと思います。


ですが、歌番組では誰を目で追っているか、関ジャムで誰の出欠に一喜一憂しているか、ジャニーズショップで誰の写真を多く買ったのか、そういうことがもう明らかになってしまって、私、横山くんのことがだいぶ好きだ……と自覚した結果、これはもうアレだ、担当……では?と思うようになりました。

 

(自意識過剰女なのでここまで書いてやっぱり猛烈に恥ずかしいです。勝手に名乗ったらえんちゃうの?わざわざこんなん書く必要ある?と脳内の大倉くんが笑顔でマジレスしてきます。)


楽しんだモン勝ちに決まってんだ

担当を名乗るにあたって、「担当」のあり方について考えてみました。
仮に男女交際にたとえると、複数人と並行して交際していたり、短期間で相手がコロコロ変わったりするよりは、ひとりの相手と一途にお付き合いしている方が、倫理的に正しく思えます。私も、安田くんを好きになったのすらここ数年なのに、フラフラ目移りしてしまうことに罪悪感を覚えました。


でも、アイドルの応援スタンスは男女交際のそれではなくて、スペシャリストとジェネラリストの違いではないかと思います。誰かひとりの変化を見守りながら長く応援している人も、たくさんの人をフットワーク軽く追いかける人も、どちらも立派なファンだと思います。あるいは、担当がいるのか箱推しかについては、グループという物語を、ひとりを主人公として読み進めるのか、複数の登場人物の視点から楽しむかの違いだといえるかもしれません。

 

また、担当を名乗るために「我が身朽ちようとも応援し続ける」という覚悟が求められるわけでないと思います。何かを始めてから、深めるうちに他のものに惹きつけられることもあります。ジャニーズの映像や文章は、ファンの妄想を軽々と超えるようなエピソードがザクザク見つかる宝の山です。さらに、アイドルもファンも生きている人間で、随時変化していきます。何かのきっかけで、突如射貫かれるように、思わぬ人に落ちてしまうこともあると思います。

 

担当は自己申告制で、名乗るための試験はないし、実績や入会金も必要ありません。ファンとして、「好き」の種類や、歴史や、温度に差はあれど、優劣はないと思っています。誰かと比べて劣等感や義務感を抱いたり遠慮したりする必要はなくて、自分なりの「好き」で楽しく応援できたらそれでいいのではないでしょうか。シンプル!シンプル!

 

言い訳と弱音をやめたら

先日友人に、横山くんのどういうところが好きなのかと問われた時に、沈黙ののち絞り出したのが「……色が白くて肌がきれい」で、自分でもズコーっとなってしまったので、改めて考えてみました。

 

社会人としてある程度仕事をしていると、良くも悪くも自分の色がついて、さほど努力しなくても、その範疇でのらりくらりやっていけるものだと思います。チームで仕事をしているのだから、苦手な部分は得意な人に任せて、自分は得意な分野だけやるというやり方もあると思います。
特に何年も同じメンバーでやってきて、一定の成功を収めていて、現状の自分の良さを認めてくれる人がいれば、特に努力する必要を感じないかもしれません。素質、年齢、環境など、できない・やらないことを正当化するための材料はたくさんあります。

 

でも、三十歳を過ぎてから、音楽に真摯に向き合って、努力して、成果を出している横山くんの姿を見ると、可能性とか、希望とか、遠い日に忘れてきてしまったようなピカピカした眩しい言葉が浮かんできます。
もういい大人だし、限界はこんなもんだし、今後はゆるく下降線をたどるのみだと思っていた自分も、まだまだ努力次第でどうにかなるように思えて、活力が湧いてきます。年齢を重ねることへのネガティブな思いがなくなって、先に続く道に光明がさしているような気がしてくるのです。

 

横山くんを見習って、苦手意識のあった仕事関連の勉強を始めてみたり、きちんと保湿や美白をしてみたり、エビをしっかり洗ってエビフライを作ってみたりと、ポジティブな変化が自分に起きています。頑張る姿を見て、自分も頑張ろうと思えることが、誰かを応援する醍醐味だと思います。

 

まとめると、努力の可能性を体現している大人で、尊敬できるから好き、といえるかもしれません*1


そーゆーとこツボなのさ

「ナントカ出の横山担」と言ってみたかった気持ちはありますが、決定的なきっかけというのは思いつきません。テレビや雑誌などのひとつひとつがボディーブローのように効いてきた結果、こうなったような気がします。

 

意外にも煽情的な表情で腰を振っていた関ジャムでの「JAM LADY」、眇めるようなウィンクを披露した少年倶楽部プレミアムの「DO NA I」、PV撮影の空き時間に木琴を練習していた「応答セヨ」のメイキング、ベストヒット歌謡祭の提供バックでパァっと笑った「今」のラスト、FNS歌謡祭「また逢う日まで」でトランペットを吹く時の張り詰めた空気と演奏終わりのほっとした表情……
グッときたところを書きだしたらキリがありません。英語の空耳がドツボにハマって笑い転げる赤ちゃんのような無邪気さも、新郎のような純白の衣装で村上くんの振りをカンニングしながら踊っているのも、なんかすごくいい……と思います。

 

きっと右肩上がり

少し前までは、担当について「もし、箱推し取り締まり警察*2が来て、うちわは一枚しか持てへんぞ!誰かひとり選べ!と詰め寄られたら、小声で『よ、横山くん……』と答えるくらい」の自信のなさだったのですが、今は面倒な葛藤がなくなって、冬の晴れた早朝にすっきりと目覚められたような気分で、答えることができる気がします。

 

横山くんにたくさんのファンがいるのは言うまでもありませんし、私ひとりが「横山担だ!」と表明したところで、何かが変わるわけではないと思います。また、「メンバー同士が誰を弟にしたいと思っているか」という話で、一日中そわそわワクワクするくらい関ジャニ∞が好きなので、グループのファンであることにも変わりありません。

 

それでも、今は、会場を埋める客のひとりとしてうちわを掲げ*3、もしくはインターネットの片隅で、下手なジョークと甘い言葉をしたためながら、応援していますよー、と表明したい気持ちです。かっこよさがどんどん増していく右肩上がりの様子を、いずれテッペン超えれる彼がきらめく瞬間を、見逃さずに追っていたいのです。

*1:なお、顔も好きです。

*2:なお、箱推し取り締まり警察などはいません。

*3:なお、2017年12月現在、関ジャニ∞の現場の予定はありません。

私たちが書く/読む理由~ジャニオタブログについて

ジャニオタのブログを書く/読むに対する熱量、すごくないか?と思い、お題箱にご意見を募集したのですが、私だけが読むにはもったいないほど価値のある回答がたくさん寄せられたので、ブログに掲載させていただきます*1。私のどうでもいいコメント付きです(グレー部分)。見出しも便宜的に私が付けさせていただきました。

たくさんの方にとても丁寧に回答していただき、ありがとうございました。私はジャニオタのみなさんが大好きです。

 

質問

ブログを書く方は、書く理由、手順、かける時間、こだわりポイントを教えてください。読むのが好きな方は、どんな記事を読むのが好きか(コンレポ、人柄・コンビ分析、沼落ち経緯等)教えてください。

 

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回答①:新たな萌えの発見

ブログをよく読んでいるものです。私がよく読むブログはエイトさん達の人柄やコンビ分析的な記事です。私自身新規のファンなのもので、そこから昔のエピソードなどを発見できたりすることや、自分とは違った観点の文章などを見ることが新たな萌えの発見(?)に繋がったりするので好きです笑

でも逆に、共感できる記事を読むのも爽快感があって好きです。

 

エピソードを引用して書かれている記事は歴史の勉強になりますよね。たまにオタクの妄想を超える萌えエピソードが実在するところがすごいと思います。「発見」と「共感」は、読んでいて楽しいブログの特徴かもしれないですね。

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回答②:アイドルならではの人間関係

私は書くのが苦手なので、読む専門なのですが、惹かれるのは、グループに対する考察やコンビ考察、性格分析などです。アイドルならではの人間関係や普通とは違う性格を他の方々はどのように観察し考えているのか知りたいと思って読むことが多いです!

 

キャラクターや関係性の魅力は、まさにアイドルグループの沼だと思っています。若いころから切磋琢磨・試行錯誤して、たぶん関係性も変化しながら、ずっと一緒にいるという事実だけでグッとくるものがありますが、それを様々な角度から分析しているブログは本当に面白いですよね。それにしてもジャニオタの方々の記憶力・観察力・分析力・文章力はなんなんでしょうか。

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回答③:興味は人の頭の中/自分の本当の気持ち

ブログを読むのが好きで、遅筆ではありますがたまに書きもする者です。

 

まず、わたしはブログの内容は何でも大好きです。質問の答えになってなくてすみません……!強いていうならば、ブログ主さんの考え方・感想などが読めるもののほうが好きです。それはつまり、沼落ち経緯や分析・考察系の記事、ということになるかと思います。書き起こしやレポももちろんありがたく読ませていただいてますが、わたしの興味は人の頭の中にあります。この方はどういう感想を持ったのだろう/どういう理論がこの方の頭の中にはあるのだろう、という見方で読んでいます。ジャニオタ界隈は読みやすかったりおもしろい文章を書かれてたりする方が多いように思うので、良いところを見習いたいとも思います。

 

書くほうについてですが、わたしがブログを書く理由はきちんと記録として残しておきたいからです。Twitterもありますが、後日探すのが面倒だし、断片的・刹那的な言葉の記録ツールでしかないとわたしは思っています。ブログはだいぶ推敲を重ねるので、例え勢いであっても書いているうちに自分の内面を見つめ直したり、自分の本当の気持ちに気がついたりすることができます。

基本的な手順としては、はじめに思いついたままに内容をざっくり書きます。そのあと、項目分けが必要である場合には見出しを付けます。次に肉付けをしていきます。だいたい文章ができたら、プレビューモードでどう見えるかを確認しつつ要らない部分を削ったり逆に不足していた部分を付け足したりします。最後に推敲ツールで訂正作業をして完成です。

かける時間はその記事の内容によりけりですが、勢いで投稿すると1時間半ぐらい、長いものだと3ヶ月ほどネタをあたためてまだ投稿できずにいます…笑 理想は書き始めてから1週間で公開したいです。こだわりは特にないです。基本的なマナーを守るぐらい……?これも強いていうならばですが、記録として残しているのでありのままの気持ちを書くようにしています。なるべく前向きな記事を書きたいですが、その時の自分の気持ちを否定して突き放したくはないからです。

 

自分が見たものでも、他の方の感想を読むと、新たな発見があったり、自分ではうまく言語化できなかった部分がすっきり書かれていたりしますよね。その人の目や頭を通じて世界を覗かせてもらっているようで、私もそんな記事が好きです。

ブログは手をかけて残しておく大切なアルバムみたいな感じでしょうか。丁寧に書かれているのに、時には1時間半で完成させるという集中力がすごいです。そして推敲ツールというものを初めて知りました。肉眼と手作業で必死に誤字脱字を直している私は、AI時代なのにマニュファクチュアって感じです……

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回答④ :他ジャンルの現場

ジャニオタが他ジャンルの現場などに行ってきた、みたいなのが好きです。面白いし、それきっかけで興味を持てるので。

 

ジャニオタは多趣味で行動力がある方が多いし、前提知識のない人間にもわかりやすく書いてくれるおかげで、興味が広がりますよね。女子ドルの現場や舞台の感想が多い気がします。ジャニーズと親和性が高いのでしょうか。反対に、非ジャニオタや他のグループの担当の方による関ジャニ∞の感想記事もよくリツイートされている印象があります。

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回答⑤:強い動機/面白い視点

■書く理由

ジャニヲタブログを読むのが好きで、私もこういうの書きたい!って思ったのがきっかけ。それ以来思ったことをもやもや考えてまとめて共感されたり意見もらったりしたい〜〜という半分承認欲求で書いてます。

 

■手順

書きたいなーと思ったことを頭で考えつつ、キーワード(テーマになりそなこと)をあいほんのメモに残してます。なんとなくの流れを決めたら、書く!

 

■かける時間

考えてる時間は長い、、けど、長いほど勢いがなくなって、書き始めてからも筆が止まる。やっぱり強い動機がないとつらい。文章を書く時間は1時間弱、そこから推敲したり読み直したりして、1時間強。もうちょっと手軽に書くか、もうちょっとしっかり書きたい、と思っている。

 

■こだわりポイント

誰かを批判はしないこと。読みやすくなるように、、とは思ってるけど、どうでしょうか。

 

■読む方

視点が面白い人は読みやすい!

どちらかというとアンケートよりも個人的な分析や、思いをぶつけてくるものがすき。

 

承認欲求、わかります。自分の書いたものを読んでもらえたり、リアクションしてもらえると嬉しいし書いてよかったなと思いますよね。熱さと勢いのある記事には心を揺さぶられるし、完成度の高い記事はうっとり感服してしまいます。でも書く方はバランスが難しいですね。

どこからそんな発想が出てくるんだ、と思うような斬新な記事は、書き手の個性が出ていて面白いですよね。「ジャニーズを○○でたとえる」「○○してほしいジャニーズ」系の記事もそんな感じではないでしょうか。

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回答⑥:エネルギッシュに

ブログはやっておらず読む事が好きです。

好き内容はコンレポやテレビやDVD、CDの感想・沼落ちした経由の話などです。エネルギッシュに書かれてる方が多くておもしろいです。人柄やコンビ分析は読んでいる途中に「そうかな?私はそう思わない」等の疑問が生まれてくる事がまれにあり、そういう気持ちでブログを読んでしまうと後から非常に申し訳なく感じるので、人によっては読まないようにしています。

 

感想系の記事を書かれる方はなんとなく筆が早い印象があります。タイムリーにときめきポイントを共有できるのは楽しいし、沼落ち記事は特にドラマチックですよね。

アイドルは様々な媒体で色々な姿を見せてくれますが、近いように思えて遠い遠いところにいる偶像だし、ファンの感じ方も多様なので、解釈違いというのは非常にセンシティブだと思います。私は、極力ソースを確認して、断定的に書かないようにという注意はしています。

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回答⑦:言語化から逃げない

ブログを書いてる者です。

書く時間はあまり決めていませんが1時間以内にしています。

手順は、書きたいことのテーマを決めてズラーッと書いてそのあとに読みやすくしていくという感じです。

こだわりは、共感していただけたり、クスッとしてもらえるポイントを一箇所はいれるところです。(本当に面白いかは別ですが)

書く理由は、しんどい、尊いのワードだけでなく、推しの魅力を豊かに表現したいなと思うからです。言語化から逃げない、という感じでしょうか。大袈裟ですが。

 

「言語化から逃げない」、かっこいいです!それが1時間以内!遅筆マンの私は泡を吹いております。

しっくりくる表現を考えるのは難しいこともありますが、うまくいくと達成感があるので、ブログを書く醍醐味だと思っています。笑えるポイントがあると、肩の力を抜いて読めるし、繰り返し読みたくなるので大好きです。ジャニオタのみなさんはギャグセンスもハイレベルですよね。まじで何者なんだと思います。

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回答⑧:あふれ出るパッション

■ブログを書く理由

パッションが抑えきれなくて。DVDを見て最高すぎて無理とか、ラジオを聞いて雑誌を読んでこの人のここがすごいとか、現場がやばすぎて文字にして吐き出さないと日常生活に支障をきたすとか。なのでほぼ感想ブログですね。死ぬほど長文のツイートしてる感覚に近いかもしれません。

ほぼ勢いのみに任せた産物を読んでくださる方がいらっしゃるの本当に有り難すぎて……天使か……

 

■手順

ノートに殴り書き

→箇条書きで打ち込む

→それを一つずつ文章にしていく

→推敲

 

■こだわりポイント

そんな大層なものはないんですけど、声に出しても不自然ではない文章にはなんとかなるように意識してます……そのなかで出来るだけ勢いは殺したくない。

とにかく語彙力が貧困なのでそれにピッタリの言葉を探そうと頑張ってはいるんですが難しいですね…………楽しいけど……(⌒▽⌒)

 

声に出して読みたい文章!勢いのある文章を読んでいると、自分もテンションが上がってアイドルに感謝したくなります。ノートに殴り書き、というのが珍しい手法だと思いました。たしかに、あふれるパッションは手で書き留めるのが一番早いかもしれませんね。

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回答⑨:写真に代えて/ジャニオタの美意識

■書く理由

周りにジャニオタもといエイターが皆無で、とにかく思いを共有したかったので。

私の場合、エイターになるまで「ジャニオタ」というものに苦手意識がありすぎて、でも関ジャニ∞を好きになって色々な話をしたいし、Twitterでいきなり絡むのは怖いからブログなら一方的に思いを垂れ流しても許されるかな?、という理由でブロガーデビューしました。

はてなにしたのは、ファンになった当初読んでいたブロガーさんにはてなユーザーが多かったので、その方たちとも話してみたいなと思ったのと、ブログのグループに「ジャニーズ」があったからです。普段、他グループのことは検索したりはしないのですがグループを定期的に見ると他グループの動きも軽くは追えるので重宝しています。

 

■手順

書きたいネタがあればスマホにメモすることが多いです。

仕事先の場合は紙にメモしたりします。いきなり書き始めるのは出来ないので、とりあえず概要だけ決めます。

PCで一通り書く

推敲する

アップする

という流れです。

ジャニオタ界隈にはプロでは!?と思うほどの文章能力を持った方が沢山いらして下手なものは出せないなと思うので、書く~推敲するまで、時間がかかります。

タイピングが早いほうなので最低一時間、その日に無理だなと思えば数日かけて書くこともあります。

 

■こだわり

文章が読みやすい

私自身、普段から方言を使い喋るので脳内では方言で文章が展開されているのですが、それを綺麗な、読みやすい標準語に直すようには意識しています。

あと単純に、写真を使うのがNGなグループを応援しているので、写真なしで伝わりやすいよう、せめて文章だけは読みやすく・・・と思っています。

難産なブログほど、感想をいただけると有り難みを感じます。Twitterでも「ブログ読んでます」というお言葉とともにフォローいただくこともあり、ブログやって良かったなぁと思います☺

 

更に、読み手としても楽しませてもらってます。

私は、担当への愛を語ってらっしゃる記事が大好きです。

誕生日、自担の映画やドラマ主演、等々。

読んでいて、「本当にこの人のことが大好きなんだなぁ」とか、「何てあったかい言葉なんだろう」と、ジーンときてしまいます。

以前、とあるグループ(ジャニーズではないです。)を応援していた時もお誕生日をお祝いするブログを見たことがありましたが、ジャニオタほど、自担のお誕生日を祝う記事を愛をこめて書く人たちはいないのでは・・・!?と思うほど、毎回驚きます。クオリティ高いものばかりで。すごいなぁと思いながらいつも読ませてもらってます。

あとは、「ジャニオタとコスメ」みたいな私生活について書いた記事が好きです。

ジャニオタ特有なのかは分かりませんが、わりとジャニーズのファンの方って「かっこいい・美しい人を応援しているから、私も綺麗で可愛くありたい」と思う方が多くいらっしゃる印象があります。

(かくいう私もその一人なのですが)

好きな人のために自分磨きをすることって、別にリアルな恋愛に限らずアイドルを応援する時であっても素敵だなぁと思うので、毎回楽しく読ませてもらってます。

コスメの記事は単純に参考にさせてもらってます・・・!

 

ジャニオタに情熱的な文章を書く方が多いのは、写真に代えて文章で魅力を表そうとしているからではないかという説を見たことがあります*2。方言で書いたブログも可愛いと思うので、読んでみたい気がします。

担当への愛を語る記事は感動しますよね。その愛に触発されて、ますますアイドルのことが好きになります。

ジャニオタの方々は美意識が高い人が多いですよね。同感です。ツイッターでもですが、おしゃれで可愛い感じや、きれいなお姉さんの感じが垣間見えます。全力でオタ活をしつつも自分磨きにも手を抜かないジャニオタ、本当に何者なんでしょうか。

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回答⑩:ジャニオタ史に残る記事/他人に寄り添った記事

■書く理由

ハマってから、いろんなはてブロの記事にお世話になりながら、関ジャニを学んできました。アイドルにハマっているのがどれだけ続くかわからないからこそ、今の私の情熱自体が面白いし不思議だなと感じていて、それを具現化して記録したいという思いから書き始めました。面白いと思ってもらえたら、そこからまた「自分はこう思う」といったいろんな意見が生まれてきて、関ジャニについてたくさん語り合える人や新しく興味をもってくれる人が増えるんじゃないかという期待を持っています。そういった意味で、ジャニオタ史(?)に残る唯一無二の記事が書けたらいいなと思ってます(※ただし発想は尽きてきました)。どちらかというといろんな人に読んでもらいたいブログなので、自分語りはあまりしないです。

記憶力が弱いのでレポは書けませんが、感情や考えたこととしては記憶するので、そういった形で感想文を書いたりはします。あとは単純に自分のスタンス整理だとか、こういうドラマほしいなっていう妄想とかもやってました。このへんは最近抑え目です。需要があるなら、ある方を書こうと思ってます。

 

■こだわり

「この頭のおかしい視点は○○が書いた記事だろう」と分かるように書くことです。本当に文章力もなく、誤字脱字も後々発見することが多いので、私が勝負できるのは重箱の隅をつつくように未開拓の発想を狙っていくくらいです。あとは作家ぶらないようにしたいです。所詮ただのファンブログなので、すごいのは関ジャニであるという信念のもと書いています。できるだけソースを探しますが、結局本人のこと(特に感情)は何もわからないという謙虚な意識でいることもこだわり(?)です。

 

■手順

発想から始まります。そこから、直感的なイメージをぽつぽつメモしておいて、暇なときに考えて追記していきます。この時点ではぼんやりしているので、書くぞ!と思ったときに資料を漁ります。過去発言とかエピソードとか、実際に番組を見ながらとか、それらと照らし合わせて考えを整理して、微妙なニュアンスを修正します。このときに脳内ディスカッションをします。自分のなかに否定派を作って、同じくらい真剣に反対の意見を考えて、それでもなんとか関ジャニはすごいという結論に持っていこうとします。ジャニオタについて書いているときは、己のスタンスの明文化なので、ディスカッションして考えたことをそのまんまかいてます。反対派にすぐ論破される考えや、ソースと解離した考えは切り捨てます。満足したらアップします。

 

■時間

書くとなったらそのことしか考えられないので夢中で書くのですが、その時点でのベストの結論を出せたものしか文章に起こす気になりません。なので、発想で止まっているものが数ヶ月単位でストックされています。これだ!と思ったものは2日程度で書いたこともあります。

 

■読むのが好きなブログ

他人に寄り添った記事が好きなんだと思います。他の人がこれを読んでどう思うか、という、人の目をきちんと考慮しながら書いている文章が好きです。「かわいい」だけじゃなくて、何が、どうして、をきちんと書いてくれた方が、読んでる側も理解しやすいし、そういう意味では考察ブログとはいっても、ただただ自分の意見を書き連ねただけのものより、他人の意見も考慮している記事の方が好きです。そういう文章を読むと、書いている人の優しさが感じられます。結論が私と違っていても、その方が面白いなと思います。あとは担当さんへのラブレターのような記事も好きです。甘酸っぱくて感情移入してしまいます。レポはものすごく助かっています。私は主観しか記憶できないので、淡々と事実を述べているレポライターさんを神のように感じます。

 

独特な切り口の記事は面白いし、アイドルの新たな魅力を発見できるし、広めたくなるものだと思います。回答してくれた方の開拓者精神がすごいです。

書くとき反対意見を考えるという発想がなかったので、感服しています。そのおかげで、ひとりよがりにならず、丁寧で完成度の高い記事になるのだと思います。

優しさを持って書いている方のブログを読んでいると、「何が書いてあるか」はもとより、「誰が書いているか」が重要になってきて、その人がどう感じているか知りたいという、ファンのような気持ちになります。レポや文字起こしは、歴史の文献のようで、後発ファンにとっては本当にありがたいです。

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最後に、ご要望があったので、私の回答を記載します。自分で問いかけたくせに、いざ書くとなると難しかったです。ご回答いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

 

セルフ回答

■書く理由

「うれしい!たのしい!大好き!」*3という気持ちを文章にすることで、それが誰かに届いて、その人のアイドルに対する「好き」がさらに燃え上ればいいなと思って書いています。ジャニオタ同士で「かっこいい、可愛い、最高だ」等と話して盛り上がるのが好きなので、ブログを通じてそういう好循環を生み出せればいいなと思っています。

コンサートや舞台などで自分がみたものを、何がどう良かったか残しておきたいという思いもあります。ブログを書いていて行き詰まる度に、こんなん何がおもろいねん!誰が読むねん!他の人がもっとすごい記事たくさん書いとるわ!みたいなヤケクソな気分になりますが、自分で感動を反芻するのに役立つので、その点において意味があるのかなと思います。恥ずかしくて読み返せないものもありますが。

あとは結果の話ですが、ジャニオタの友人との思い出を書いた時に、彼女が予想以上に感動してくれたので、私でも人の心を揺さぶる文章が書けるんだな……書いて良かったな……アイドルはやっぱすごいわ……と思って泣けました。

 

■手順

書きたいことが出てきたら、頭の中で膨らませて、キーワードや文章の断片をスマホにメモします。ツイートすることもあります。特定のアイドルに関する記事を書くときは、エピソードや本人発言などのソースを確認します。

大きい画面で書きたいので、主にパソコンのワードで書いています。メモしたものに肉付けしたり、ネタを入れたり、かなり文章をコネコネします。それから、段落の見出しと記事のタイトルをつけます。だいたいできたら、時間をあけて読み返してみて、熱すぎて怖い部分や無駄な部分を消したり、客観的にわかりにくいところを修正します。はてなブログの下書きに入れて、PC版とスマホ版の画面でプレビューを確認し、誤字脱字誤用を修正します。たまに写真や図をつけたりして、アップします。

上手いこと言いたい芸人なので、書いていて楽しいのは、見出しとタイトルをつけるところです。ほぼ自己満足です。

 

■かける時間

一週間くらいかけてダラダラ書いています。集中してガッと書けたらいいのですが、夜に子どもを寝かせて家事をしてから書いているので、細切れになりがちです(そこまでしてブログを書く意味とは)。私は無駄なこだわりが多いので、もっと軽いスタンスでコンコンコンスタントに*4書けたらいいなと思っています。

 

■こだわりポイント

できたら、印象に残るパンチラインを入れたいと思っています。つらつら書いていると、読む方としては目が滑るおそれがあるので、フックになるようなワードを入れたり、パロディネタを入れたり、恥ずかしいくらいエモく書いてみたりしています。全体の流れがわかるように目次を入れて、ダレないように段落のまとまりを作ることも気を付けています。

また、記事のタイトルとツイッターに投稿する時の文章は、なるべくキャッチーにしたいと思って色々考えています。ツイートは流れてくるので自然と目に入りますが、ブログのリンクを開くのは能動的な行為で、ツイートを見た段階では、何が書いてあるか、面白いかどうかもわからないので、相当な引きがないと読んでもらえないと思うからです(成功しているかどうかは別として)。

それから、普段は常体(だ・である調)で書いていますが、どうしても堅くて偉そうな感じになりがちなので、読む方に極力不快な思いをさせないよう、アイドルとそのファンに敬意を持って、クッションになる言葉やフォローを入れるなど注意しています。ビビリなので。

あとは、他のグループ担当の方や、ジャニオタ以外の友人もたまに読んでくれるので、前後関係をわかりやすく書いたり、ジャニオタ用語に注釈をつけたりしています。

 

■読むのが好きなブログ

回答いただいたみなさんとおおむね同じですが、アイドルに対して「好きなんだよ マジで」*5という情熱を、読み手を意識して丁寧に書かれている記事が好きです。「アイドルのファンになって毎日が楽しくて幸せ」「アイドルのみなさん、みんな仲良く楽しく幸せに暮らしてほしい。ありがたい」というファン心理についての記事は、とても共感できます。プロかなと思うような魅力的で面白い文章を書く方のブログも、これがタダでいいのかよ……とありがたく読んでいます。あとは、「今の担当が嫌いになったわけではないのに、他の人にどうしようもなく惹かれてしまい煩悶する」系の担降りブログは、文学だと思っています。

*1:ほぼご回答のとおり載せていますが、私に対するメッセージや、回答者の方のお名前などは省略しています。

*2:偶像崇拝が禁止されているイスラム教で細密画(ミニアチュール)が発展したみたいな感じでしょうか。

*3:DREAMS COME TRUEの曲名より。

*4:丸ちゃんこと丸山隆平さんが、関ジャニズムLIVE TOUR 2014≫2015において、「三十路少年」で披露したギャグ「コンコンコンスタントにコンスターチ」より。

*5:Sexy Zone「君にHITOMEBORE」ケンティーこと中島健人くんのセリフより。

ジャニオタに至るロング・アンド・ワインディング・ロード

ジャニオタの方々を見ていると、「若い頃はバッチバチのオタクまたはサブカルで、ジャニーズには全然興味がない、むしろ『ジャニーズ(笑)』というスタンスだったのに、大人になってから突然すごい勢いで沼に転げ落ちてしまった人」が、一定数いるようである。私も(バッチバチではないにせよ)その一人だが、この現象はアイデンティティや自意識と深く関連しているのではという気がしている。自分の「オタク期」から「サブカル期」、「空白期」、そして「ジャニオタ期」への変遷をなぞりながら書いてみたい。

 

 

オタク期

レベル:10~15
ぞくせい:くらめのオタク
そうび:ふところのナイフ

 

私は田舎の公立校で思春期を過ごした。外見はよろしくない、運動はできない、コミュ力もないタイプで、スクールカーストの中〜下あたりでひっそりと生きていた。気の合う友人はいたが、様々なタイプの人間がひとところに押し込められたような学校はとにかく居心地が悪かった。クラスの中心にいるような、「外見の良い魅力的な人気者」に対する強い劣等感を抱く反面、そういう人たちは大抵チャラついたりイチャついたりヤンチャしたりしていたので、とても忌々しく思っていた。

幸か不幸か、私は少し得意なものがあったために、「私はこいつらとは違う」という選民意識を持ち、劣等感で空いたアイデンティティの穴を補うになる。パッと見こそ地味なものの、懐に隠し持ったナイフを研ぐように、内向きにチョンッチョンに尖っていたのである。

また、そんな環境から逃避するため、漫画、アニメ、お笑い、音楽などを趣味とし、黒歴史的な創作活動を行い、ダイアルアップでピーヒョロロ~とインターネットに接続し、掲示板や、個人の創作・感想サイト、テキストサイトを巡回するなどして過ごしていた。

 

この頃のジャニーズはSMAPTOKIOが活躍し、Kinki Kidsが華々しくデビューし、Jr.黄金期が始まろうとしていた。母の影響でKinki Kids堂本光一さんを好きになり、「LOVE LOVE あいしてる」等を楽しむようになった私は、小学生女子にありがちな自己紹介カードの好きなタレント欄に「光ちゃん」と書いた。

しかし、ジャニオタの芽は無慈悲にも摘まれてしまう。自己紹介カードを見たキラキラ女子に「光ちゃんって(ワラ)いや、ジャニーズ好きってキャラじゃないっしょ(ワラ)」と嘲笑されたのである。目の前が真っ暗になった。「光ちゃん」と書いた私もまあまあイタかったし、彼女は軽くからかうくらいの感覚だったかもしれないが、その言葉によって「ジャニーズは私ではなく彼女たちの文化である」と痛感したのである。

ピカピカした衣装で、愛とか恋とかの曲を歌い、疑似恋愛を煽ってくる顔の良い人気者の男性たちは、よくよく考えると、私が苦手としていたクラスの男子そのものだった。ジャニーズとの疑似恋愛の相手は、現実世界同様、私ではなく彼女たちがふさわしいのだと思った。こうして私は画面の向こうの人気者にも気後れするようになり、上記のオタク趣味にますます没頭していく。「私→コンテンツ」の一方通行、または「私→誰か⇔誰か」の関係性を端から見ている分には、自分を否定されることがないし、純粋に楽しかった。自己肯定感の低さゆえの「自己不在」である。

 

サブカル期

レベル:16~23
ぞくせい:サブカルかぶ
そうび:サブカルのよろい

 

高校・大学と進むにつれ、苦手な人の割合が減り、学校コミュニティは息がしやすくなった。高校で衝撃的だったのは、男子も女子もみな真面目で穏やかで優しく、異様に可愛く洗練された子が多いにもかかわらず、私にも対等に接してくれるということだった。派手なグループや地味なグループがあったが、マウンティングなどはないし、お互いに個性や長所を認め合うような空気があった。ここには暖かい寝床とパンとシチューがある。もう外敵に怯えなくていいんだ。山から人里に出てきた私は、心のナイフをおさめた。

しかし、広い世界に出たことで、自分が井の中の蛙であったことに気付く。得意だと思っていた分野において、自分よりはるかに高いレベルの人たちがワサワサしている。アイデンティティを補強していた選民意識の崩壊である。「自分はどうやら特別な何者かにはなれそうにない」という現実を受け入れざるを得なくなった私は、代わりにサブカルのよろいをまとうことで、アイデンティティを守ろうとする。

サブカルは、「なんだか高度に文化的で通っぽくておしゃれで頭がよさそう」な趣味嗜好であり、サブカル的なもの自体が魅力的だったことに加え、「(特別な人間ではないけど)そこいらの人とはちょっと違うワタシ」をアピールするラベルとしてうってつけだったのだ*1。 

 

この頃、ジャニーズはKAT-TUNを筆頭にオラオラ感が強く、「明るめの茶髪、長い襟足、鋭利な眉毛、ごつめのシルバーアクセサリー、やたら暗い室内又は夜のガード下のフェンス」のような、ヤンキーや不良に似た印象があった。一方、嵐は正統派ジャニーズっぽさとメンバーの仲の良さ、楽曲のキャッチーさを武器に、国民的アイドルになりつつあったように記憶している。

当時の私にとって、いずれもジャニーズは「わかりやすくかっこいいもの」だった。大衆性が高く、ファンが多く、露出も多い。理解するのに知識がいらない、テレビをつけるだけで受動的に摂取できるコンテンツ。あざとくかっこよさをアピールするやり口や、歯の浮くようなセリフ、特に上手いわけではなくどこかで聞いたようなそれっぽい曲は、「どうせお前こんなん好きなんやろ選手権」*2のように思えた。そんなものに夢中になるなど事務所やメディアの思う壺である、かっこつけすぎて逆にかっこよくない、と思い、彼らとそのファンを軽んじていた。

 

しかし、しばらくして私はサブカルになりきれない自分に気づく。邦ロック等を好んで聴くものの、コード進行がどうのとか邦楽史的な位置付けがどうだとかはよくわからないので、「『ばらの花』*3のメロディ、なんかすごくキレイ。歌詞もエモい。ジンジャーエール飲みたい」等といったあたまのわるい感想しか抱けないのである。極めたいならサブカル的な歴史や理論を勉強すればいいのだが、義務感に追われるのは嫌だった。

さらに、「サブカルでっせ!どや、おしゃれでっしゃろ!」と主張するものを、ありがたがって摂取する行為は、サブカルの精神に反するのではないのではないか?という疑問が生じてくる。……待って、これ、「どうせお前こんなん好きなんやろ選手権」だ!

サブカル的なものが①本当に好きなのか、②サブカル的に良いものであるとされているから好きなのか、③「サブカル的に良いものが好きな自分」が好きなのか、わけがわからなくなってしまった。 ①と言い切るには知識や意欲が足りないし、②はダサいし、③が真実なのだが、あまりにも自己愛にまみれていて認めたくない。私は結局、サブカルのよろいで身を守ろうとしたものの、くさりかたびらではなく、単語カードをとめる銀のわっかをたくさん繋げたもの*4しか身にまとえなかったのである。

 

空白期

レベル:24~26
ぞくせい:ふつうのひと
そうび:なし

 

この頃は仕事、結婚、出産、育児等で人生が忙しく、「挙動はめっちゃオタクっぽいのに特に何のオタクでもないふつうのひと」として過ごしていた(しいていえばさまぁ~ずの番組を熱心に見ていた。)。

結婚して一番ほっとしたのは、もうモテとか可愛さとかの尺度に振り回されなくて済むということで、それは「外見の良い魅力的な人気者」に対する劣等感からの解放だった。また、夫がオタクでもサブカルでもなく、そういうカテゴライズやラベリングに興味がない人間であったため、もうサブカル等の威を借りて自分を繕わなくてもいいのだと気づかされた。

一方で、自由度の高い学生時代とは異なり、日常生活において腹立たしいことも悲しいこともたくさん出てきたので、趣味などの自分に選択権があるものにおいては、負の方向に心を揺さぶられたり、しんどい思いをしたりしたくない、ただ心安らかに純粋に楽しいものだけ摂取したい……と思っていた。

 

そこで行きついたのがエンターテイメントの王者、ジャニーズである。

 

ジャニオタ期

レベル:27~
ぞくせい:ジャニオタ
そうび:ペンライト、そうがんきょう、うちわ、メンバーカラーのふく

 

楽しくて楽しくて楽しいジャニーズを知って、私はオタクの本領を発揮し、電光石火のスピードでズブズブに沼にハマってしまった。

若い頃、恐れたり軽んじたりしていたジャニーズは、「苦手なことや望まないことでも向き合って努力する」「自分と違うタイプの人でも受け入れて関係を構築する」といった、私が避けてきたことを、若い頃から真摯にやってきた人たちだった。私は大人になってようやく、彼らが特別な存在なのは、決して外見の良さだけによるものではなく、努力の賜物であることを知るのである。

そして、ジャニーズの「どうせお前こんなん好きなんやろ選手権」は、彼らと周囲の人たちが本気で作っているものであり、想像以上にハイクオリティで、ファンのツボを突いてくるものだった。また、疑似恋愛だけがジャニーズの楽しみ方ではない。人としての魅力やメンバーの関係性などを楽しむことは、暗めのオタク時代に染みついた「自己不在」の精神にフィットしている。

 

特攻服を着てポケットバイクを乗り回していた関ジャニ∞は、キャリアを重ね、ある程度の落ち着きと大人の魅力を得て、それでいて少年(一部幼児)のような可愛さを失わず、突然女子高生になるなどして、貪欲に前に進み続けていた。その道筋と、自分の人生と成熟度合いがタイミングよく交錯して、私は関ジャニ∞のファンになったのである。

もっとヤンキー感が薄く、オタクみ・サブカルみのあるジャニーズはいるはずなのだが、関ジャニ∞は「関西弁が好き」「邦ロックとか好き」「仲良しおもしろおじさんが好き」という私の好みに合致したのだと思う。何か要素が欠けていたり、タイミングがずれていたら、こうはならなかっただろう。これまで自分が歩んできた、長く曲がりくねった道が肯定されるような幸福感を感じる。「ご覧、ほらねわざと逢えたんだ*5」という一節を、うちわに書いて掲げたい気分である(たぶんうちわ一枚には収まらない)。

 

私は恥ずかしながら30歳近くなって、ようやく、なんのしがらみもなく、好きなものを自分で決められるようになった。先入観や偏見なく、良いものを認められるようになった。ジャニーズも、ジャニオタのみなさんも、ジャニオタである自分も好きだ。長い長いアイデンティティの模索と自意識の葛藤の末に行きついたのは、「ジャニオタ」という属性だった。いま、とても満たされている。居心地が良くて、楽しい。それゆえに、この沼からはなかなか抜け出せないような気がしている。

 

 

*1:このあたりの話は、「V6担兼NEWS担の友人とサブカルになりそこねた私の10年」と重複する。

*2:ダウンタウンガキの使いやあらへんで!」のコーナー名。ゲストが好きそうなものをレギュラーメンバーそれぞれが選ぶコーナー。

*3:メロディがなんかすごくキレイで歌詞がエモいくるりの曲。ジンジャーエールを買って飲むという歌詞がある。

*4:笑い飯西田さんの中学イケてない芸人エピソードより。

*5:東京事変「キラーチューン」より。

アイドル的な、あまりにアイドル的な、渋谷すばるさんのこと

渋谷すばるさん36歳のお誕生日、関ジャニ∞デビュー14周年、おめでとうございます。

最近の雑誌で読んだすばるくんのアイドルに関する発言と、彼が作った「コーヒーブレイク」に心を打たれたので、私が関ジャニ∞のファンになる前のすばるくんのイメージと、今のすばるくんに対する思いを書いてみたい。

 

  

 そーでもない第一印象

関ジャニ∞にいるビブラートのすごい人」という漠然とした認識が、「坊主にヒゲの渋谷すばる」と一致したのは、2014年夏のLIVE MONSTERだったと思う。ちょうど10周年の露出ラッシュであり、テレビで関ジャニ∞を目にすることが増え、なんとなく好感を抱いていたところだった。しかし当時は、すばるくんのワイルドな外見と眉間にしわを寄せた表情が怖かった。ギラギラしていて、世間の関ジャニ∞に対するお笑いイメージに反抗するような、「俺は歌だけでええねん」と言わんばかりの殺気を放っているような気がした(※個人の感想です)。歌が上手い、でも歌なら歌手やバンドでやってもいいのに、なんでこの人はジャニーズをやっているのかな……と思っていた。

 

しばらくして、よりシャープな坊主頭でソロ活動をするすばるくんを目にする。相変わらず歌が上手い。かっこいいが少し怖い。この頃、すばるくんの「関ジャニ∞ってアイドルやってます」という宣言を聞いたように記憶している。今思えば、関ジャニ∞というホームあってのソロであり、アイドルファン以外を関ジャニ∞に誘い込むきっかけになるように、という意図だったのだろう。だが、「リアルを伝えるアイドルがいてもいいと思う」発言とあいまって、これはアイドルをナメている人たちへの宣戦布告であり、この人は既存のアイドルの概念を壊したがっているアウトローなのだなという印象を受けた(※個人の感想です)。

 

しかし、お気づきのように、なんだかんだですばるくんの露出と発言を追っているあたり、この時点で関ジャニ∞がかなり気になっていた。そしてクロニクルで彼らの面白さに気付き、私かなり関ジャニ∞が好きかもしれない……と思っていたところで、決定打となったのが関ジャムである。ブラジャーを抱えながら、ゴールデンボンバーなどのみなさんと「女々しくて」を歌うすばるくんを見て、雷に打たれたように「買う!関ジャニ∞のDVD買う!!」と決心する。よりによってなぜこの曲だったのかわからないが、カメラに噛みつくように歌うすばるくんには、それまでのイメージをねじ伏せて、「好き!!」に針が振り切れるような、迫力とかっこよさがあった。

 

そして私は沼に転げ落ち、すばるくんに抱いていたイメージは粉々にぶち壊されるのである。

 

そんなイメージじゃないけどな

すばるくんは天才的に面白い。関ジャニ∞のお笑い担当は、横山くん、村上くん、丸山くんなのかな~と思っていた私は浅はかだった(ちなみにイケメン担当だと思っていた大倉くんのお笑いセンスにも度肝を抜かれた。)。

 

すばるくんは言葉の選び方や間の取り方が上手く、すべり知らずである。巧妙な切り返しができる瞬発力があるし、話の緩急の付け方が上手くてエピソードトークも素晴らしい。ギリギリなのに決してテレビ的なアウトのラインを超えないチョイスで、下ネタも不快にさせない師匠の技量がある。モノボケのクオリティもクロニクルで証明済みである。そして関西弁特有の、言い方で笑いにもっていく力技もしれっとやってのける。

関西出身の人たちは、半ドンの土曜に吉本新喜劇を見ながらお好み焼きを食べてお笑いのセオリーを学ぶという、英才教育を受けてきた人たちであるが、それにしてもすばるくんのお笑いセンスは突出している。発言のテンポやタイミング、ニュアンスが絶妙で、モノマネも得意であるあたり、彼の面白さは音楽センスの賜物ではないかと思う。

さらに、素人の方に対しては、偉人の末裔おじさんに鋭くつっこむ時もあれば、バンドファンの女の子をニコニコしながら「ええキャラやわ~」と評したりする。相手に愛と関心をもって、誰もサゲない笑いができる。ダイバーシティ時代のバラエティアイドルであると思う。 

 

すばるくんはメンバーが大好きである。一匹狼タイプなのかと思っていたのに、たまに驚くほどにストレートにメンバー愛を表現する。印象的だったのは、男気対決のユニット分けである。企画者であるすばるくんが3:3に分かれたユニットのどちらに加入するかという場面で、当然に選ぶ権利を行使するのかと思いきや、彼は「選ばれへん、みんな好きやもん……」と弱々しくごねるのである。初めて見たときは、長髪にヒゲ、素肌に革ジャンという世紀末な風貌と、発言の可愛さの激しいギャップに、気圧の谷が発生して大気が不安定になったような気がした。

 

また、「コーヒーブレイク」にもメンバー愛が表れている。この曲は、CDの発売前にスバラジで一部が解禁されている。恋人への想いを歌ったほのぼの日常系リア恋ソング?いや、コーヒーを恋人にたとえている?とにかくCDが待ち遠しい!とタイムラインが沸き立っていた。

そしてCDを購入し、歌詞と「作詞作曲 渋谷すばる」というクレジットを目にして期待が高まったところで、いざフルで聴くと「コーヒーが飲めない錦戸くんをコーヒー大好きおじさん6人が取り囲む歌」であることが判明する。まるで叙述トリックだった。すばるくんの音楽・お笑いセンスがいかんなく発揮されていて、巧妙な演出と、大人のユーモアに感服する思いだった。丸山くん作の「ふわふわポムポム」に並ぶようなクセになるサウンドで、リア恋ソングに夢を見たおたくたちは一転、カフェイン中毒者のごとく繰り返しこの曲を摂取したことと思う。

 

メンバー愛の話に戻ると、すばるくんが、錦戸くん主演ドラマ主題歌のカップリング曲として制作したというのがグッとくる。あいつだけコーヒー飲めへんぞ!歌にしたろ!という発想が、もう、めちゃくちゃに可愛い。そもそもコーヒーが飲めない錦戸くんが可愛い。すばるくんのデモ音源を聞いたときの錦戸くん(強火すばる担)やメンバーのリアクションやレコーディング風景をミセテクレ。ハァ〜〜可愛い。しかしそうやってニヤニヤしながら聴いていたはずが、だんだんと、この先もずっと一緒に仲良くふざけながら楽しくやってほしい、と重いことを考え始めるのがおたくの性である。(ずっと一緒……ずっと一緒……)

 

すばるくんの歌はすごい。単純に「上手い」という言葉だけでは、すばるくんの歌の魅力は表しきれない。関ジャムのエグゼクティブプロデューサーである山本たかおさんのすばるくん評を読んで、まさにその通りであると思った。

「音域が広いとかピッチが狂わないとか、もっとそういうもの以前の、心震わす魂、存在感、声、ですよね。それがライブステージでは何倍も大きく見えて、圧倒的な存在感を見せる」*1

さらに、すばるくんの歌の魅力を表現する方法を探して本を読んでいたところ、次の記述に行きついた。

「音楽は、生きることに伴う苦悩も含めて『生』を肯定して励ますものであり、他の造形芸術と異なり、形を介さず世界の本質(『生』への意志)を直接心臓に叩き込むことができる唯一の芸術」*2

見つけた時には、興奮のあまり「すばるくんのことやんけ!!」と叫んでKindleを叩き割るところだった。自作曲「生きる」で、「何もなくたっていいから 誰でもない あなたを生きて」と歌うすばるくんが、音楽の本質を体現していることに気付かされた。

すばるくんは、華奢な体で、女児のような尻と脚で、真正面から音楽と受け手に向き合って、混沌の中からエネルギーの塊を取り出し、増幅させ、全身から放つように歌う。放たれた歌声は空気を震わせながら、矢のごとく降り注いで、聴く人間の心臓を突き刺すような感じがする。唯一無二の歌声、天性の才能、音楽の神様に愛された存在。というか、すばるくん自身がほとんど神である。

 

これからも段々君が素晴らしくなる

そんな魅力あふれるすばるくんだが、2016年から2017年にかけて、さらに変わってきた気がする。なんというか、野生的な感じが和らいで、マイルドになったような、若返ったような、すっきりと解脱したような。いつ変化したのかはよくわからない。あるいは、私が関ジャニ∞のファンになって外から関ジャニ∞見れなくなったからからそう感じるだけであって、すばるくんの中では何も変わってないのかもしれない。どちらにしても、私にとってはどうでもいいことだった。重要なのは、今のすばるくんが、あまりにアイドル的な存在であるという事実なのだ(思わず村上春樹調になってしまった。)。

 

すばるくんは「ダンス居残り組」であったはずなのに、「Black of Night」では、キレキレに踊っていることに驚いた。ジャムコンオーラスでは、Jr.かと思うほどの全力しゃかりきダンスを披露していたとの目撃談があった。

さらに、2016年夏頃、髪を切ったあたりから、ビジュアルに関してもパワーアップしたような気がする。前髪重めで襟足すっきりの髪型は、頭の丸みと目力が強調されていて実に素晴らしい。重力を受け入れながら、年齢重ねることを強みに変えて、元々の素材を活かした強い強いビジュアルに仕上げてきている。

メンチは切るけれど、正統派アイドル的なカメラアピールを避けてきたようにみえたすばるくんだが、NOROSHI以降、絶妙な角度でキメ顔を披露し、おたくを困惑と歓喜の渦に突き落とす。エイタメコンにおいては、角度+流し目+ウィンクの三位一体攻撃でドームの女を絶叫させた実績がある。

一方で、幼稚園児のようなピカピカの可愛さを持ち合わせている。一般的な35歳男性には到底真似できない無邪気なダブルピース姿は、思わず「すばちゃん」と呼びたくなるほどの可愛さである。夜10時を過ぎると眠たくなり、ちっちゃい声で「忙しいねん……」とつぶやくおじいちゃんのような一面は、ひたすらに愛おしく、健康で長生きしてほしいと願わずにはいられない。

また、ファンを楽しませたい、こんなん見たいんちゃうかな?というエンターテイナーの精神は、特典映像「7人だけの新年会」の企画や、三馬鹿*3ユニット曲の「Answer」、前述の「コーヒーブレイク」に顕著である。

 

すばるくんは間違いなく関ジャニ∞の音楽を牽引する存在だが、彼だけが突出しているような感じはしない。完全に感覚の話になってしまうが、今のすばるくんの歌は、関ジャニ∞と調和している気がする。全員が音を楽しんでいるようで、7人が奏でる音楽が重なり合って、総体としてパワーを持っているような感じがする。 

 

音楽ファンで埋め尽くされたメトロックにおいて、すばるくんは「関ジャニ∞ってアイドルやってます」と言った。ソロの時と同じ言葉でも、受ける印象がかなり違う。「何をやっても、その道1本でやってる人にはかなわない」*4と言いながら、アイドルであることを免罪符にするのではない。

「アイドルって、そこに浸かっていようと思ったらそんな楽なことないと思うんです。抜け出して一個上に行こうと思ったら、ちょっとしんどいけど、それをやったら最強やと思うんですよね。誰もかなわへんと思う、絶対に」*5

という発言から感じるのは、アイドルを引き受けた覚悟だ。歌も、バンドも、ダンスも、バラエティも、芝居も、全部やる。かっこよさも可愛さも自覚して、武器にする。もはや全方位死角なしアイドルである。

それでいて、まだどこか余裕があるようで、とても自然体でいるように見える。すばるくんは、ほぼ神様だが、畏怖の対象である偉大な神ではなく、みんなに愛される身近な神様ではないかと思う。なんとなく、「小僧の神様」という言葉が似合う。*6

 

並ならぬ涙の賜物

そして、アイドル「なのに」ではなく、アイドルだからこそできることがある。

「売れない時代からずっと、うれしいことも悔しいこともすべて共有してきているから、メンバーが今どんな気持ちか音を聞けばわかる。それは、バンドマンや音楽をやっている人たちには、絶対に出せないグルーヴやと思う。関ジャニ∞の楽曲が面白いのって、そこじゃないかな」*7

20年以上やっているバンドはたくさんいるが、20年以上兄弟や家族のように苦楽を共にし、ダンスもバラエティも一緒にやって、全員がボーカルをとる、自分たちの見せ方を知っている、こんなに顔面偏差値の高いバンドは他にない。

メトロックで丸山くんがベースプレイのタイミングを間違えた際、大倉くんと安田くんはさも予定通りかのようにセッションに加わった。錦戸くんは(苦手なはずの)トークでフォローし、すばるくんは「面白いから後でもっかい同じ事やれ」とアドバイスして、ハプニングを笑いと盛り上がりに変えた。この瞬時の判断と、互いに補うあう感じが、彼らのグルーヴの表れではないかと思う。そして彼らの絆と、物語性の上に乗る音楽は、ファン以外も魅了しはじめている。それでいて、音楽は彼らの武器のひとつに過ぎないのである。

 

私はすばるくんが「チョンッチョンに尖っていた(本人談)」頃や、Jr.時代から組んでいた関ジャニ∞とは別のバンドのことや、危うさをはらんだ美しさとカリスマ性で人を惹きつけていた頃を知らない。紆余曲折を経て、それでもアイドルでいてくれるのが、本当にありがたいと思う。大人で、自然体で、アイドルとして高みを目指す今のすばるくんがとても好きだ。

 

すばるくんは天才だと思う。神様だと思う。それでいてすばるくんは、電動自転車でふらりと新宿に行く身近さ、しゃがんで子どもの目線に合わせて優しく語り掛ける父性、長年の知り合いかのように自然におじいちゃんに絡む人懐っこさを兼ね備えている。ここで思い出すのは、安田くんが雑誌で語っていたアイドル論である。

「夢を見てもらうべき時はスター性を出し、そうでない時は等身大で居る。アイドルの真髄は、見る側の欲望に対する順応性に長けていること」 *8

アイドルなのにアウトロー感にあふれていたすばるくんは、誰よりもアイドルなのだった。

 

歌番組でも、雑誌でも、ネットでも、関ジャニ∞はどこを目指しているのか?彼らにとってバンドはどのような位置づけなのか?という問いをたくさん目にした。私も分析・考察したがるタイプのおたくである。しかし、答えはとてもわかりやすい形で、以前からもう何度も見ていたような気がする。私があれこれと考えを巡らせた結果、思い出したのは、「ジャニーズ・エンターテイメント」と挑発的につぶやく、カメラ目線のイケメンすばるくんなのである。

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*1:「別冊+act.」 Vol.24より。

*2:竹田青嗣ニーチェ入門」より、抜粋しつつ私がニュアンスでまとめている。

*3:横山くん、すばるくん、村上くんの同い年トリオを指す言葉。とにかく尊い

*4:ジャムコンパンフレットより。

*5:「MUSIC MAGAZINE」2017年9月号より。

*6:志賀直哉の小説は「小僧の姿をした神様」の意ではないけど。

*7:ジャムコンパンフレットより。

*8:「TV GUIDE Alpha Episode E」より。