切り取ってよ、一瞬の光を

エンターテイメントの話

ジャニオタが観たタカラヅカ~星組 スカーレット・ピンパーネル感想

初めて生でタカラヅカを観た。宝塚星組公演 スカーレット・ピンパーネルの感想に加え、舞台に立つ誰かを応援することについて書きたい。

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はじめにー観劇までの経緯

私には友人がいる。彼女は母娘二代でタカラヅカファンであり、人生の半分近くをタカラヅカと共に過ごしてきた生粋のヅカオタである。我々は去年の夏頃から、異文化交流会と称してタカラヅカとジャニーズを布教しあい、公演やコンサートの映像を観て日頃の憂さを晴らす会を開いてきた。友人はめちゃくちゃに仕事ができる女であり、初回は「タカラヅカのご紹介」と冠した自作のパワーポイント資料(20ページ)を引っ提げてカラオケパセラに現れた。スターシステム等のタカラヅカの基礎から、各組スターの学年表、ご贔屓*1のスターさんの紹介など、初心者に優しい内容ながらタカラヅカへの愛とパッションがあふれ出ていて、タダでもらうのが申し訳ないほどのクオリティだった。

 そして2012年宙組公演「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA」を彼女の解説付きで見せてもらった。初めてちゃんと観るタカラヅカのみなさん*2は、ぴかぴかと美しくきらびやかで、おそろしく脚が長かった。

 

友人のご贔屓は元宙組・現星組の七海ひろきさんであり、「タカラヅカ・スカイ・ステージ」*3の番組「Brilliant Dreams」及び「Brilliant Dreams+NEXT」*4で七海さんが「ときめきと潤い」をテーマに「キュンとするシチュエーション」をプロデュースしたシリーズ*5をぜひ見てくれと貸し与えられた。

これにより、私は星組の方々を「カワイイは正義の綺咲愛里さん」「七海さんと三角関係になって身を引く同期の壱城あずささん」「ひろきとゆずる及び紅子の紅ゆずるさん」等と覚え始める*6。また、「エリザベート」「EXCITER!!」等の過去の名作を視聴したり、ネットで組替えやトップの交代等の話題を知るなどして、少しずつタカラヅカの知識を蓄えていった。

 

そして長い助走期間を経て、ついに星組公演「スカーレット・ピンパーネル」(通称「スカピン」)を観劇できることになった。観劇にあたり、まずは2010年月組公演のスカピンを見て予習した。友人は最新のスター学年表、星組生の紹介とスカピンの配役、観劇のポイント等をまとめた自作のパワポ資料(30ページ)とスカピンの主要キャスト座談会などの映像を提供してくれた。さらには、FNSの歌番組で「左後ろの人」として話題となった元月組・現雪組の朝美絢さん*7が出演しているブリドリネクスト(美弥るりかさんのシリーズ)までついていた*8。どこまでも仕事ができる女である。

 

初夏の訪れを感じる6月の昼下がり。東京宝塚劇場の道路を挟んで向かいにシアタークリエがあり、「ジャニーズ銀座2017」というイベントをやっていた。Jr.担の方のツイートからクリエの存在は知っていたものの、恥ずかしながら日比谷にあることを初めて知った。宝塚劇場にもクリエにもたくさんの女性が集まっていて、一帯には期待と興奮と愛が満ちており、さながらエンタメの目抜き通りであった。

友人は先に到着していた。「七海さんの写真を爆買いした」とすみれ色の袋を差し出す彼女を見て、さすがだと深くうなずいた。そして私も劇場に併設された公式ショップ「キャトル・レーヴ」に足を踏み入れた。マチソワの合間の店内は人であふれかえっており、どこからともなく「とにかく顔面の完成度がめっちゃ高いんだよね」「わかる……」という会話が聞こえてきて、ジャニオタとして猛烈なシンパシーを感じた。お写真や雑誌等が並ぶ店内はどこを見渡しても美・美・美。美の四面楚歌だった。私はソワソワと迷った挙句、七海さんasロベスピエールの写真とスカピンのプログラムを購入した。レスリー・キー撮影の写真は、加工ではなくその存在がCGではないかと見まごうほどに麗しかった。

観客は八割方女性だったが、ちらほらと男性の姿もあった。ジャニーズのコンサートに比べ年齢層はやや高めで、マジの金持ちと思われる身なりの良いマダムの姿も見受けられた。 

 

スカーレット・ピンパーネル感想

キャストのみなさんと印象に残ったシーンについて記載したい。ストーリーは公式サイトに載っているが、ざっくり書くと、革命政府下のフランスでスカーレット・ピンパーネルが活躍する愛と勇気の物語である。

 

紅ゆずるさん(パーシー/スカーレット・ピンパーネル/グラパン)

初めて「紅子」さんを見たとき、あまりのキャラの濃さに、タカラヅカにこんな人がいるんだ……と衝撃を受けたことを覚えている。その後、紅さんが次期星組トップスターなのだと知り、さらに驚いた。

本作で紅さんは英国貴族のパーシー、フランス貴族を救うヒーローであるスカーレット・ピンパーネル、ベルギー人スパイのグラパンと三つの顔を持っていた。チャラいパーシーだが、新妻であるマルグリット(綺咲愛里さん)のことは大切に思っている。しかし、お互いが抱える秘密と多忙なスカピン活動のせいで、徐々に心が離れていく。軽妙に華麗に活躍するスカピン、夫婦関係に苦悩するパーシー、老獪でコミカルなグラパン。メリハリが魅力的で、それらを自由自在に行き来するところが紅さんのスターたる所以なのではないかと思った。やはり圧巻だったのがアドリブで、「ショーヴラン(礼真琴さん)が(プリンス・オブ・ウェールズ主催の)仮面舞踏会に行くことを聞いたパーシーが、ショーヴランに自分の衣装を貸すことを提案する場面(毎回異なるアドリブでやりとりする)では、黒ずくめのショーヴランをばいきんまんに見立てていじっており、会場が爆笑の渦に包まれていた。

過去のスカピンを見て、終盤はやや唐突に新喜劇的展開になるなと思っていたのだが、紅さんのスカピンでは、全体に散りばめられたコメディ要素が多い分、終盤へのつながりがナチュラルで、とても鮮やかな幕引きのように感じられた。

そして紅さんは、コメディエンヌな一面と男前な一面とのギャップが激しく、ふり幅がしんどい。グラパンの変装を解いて「私がスカーレット・ピンパーネルだ!」と正体を明かす場面は痛快で眩しく、コンサートなら間違いなく歓声を上げていた。さらにフィナーレでは、ばちーん☆と星が飛びそうな紅さんのウィンクを双眼鏡で目撃してしまい、軽率に死んだ。恐るべきウィンクキラーだった。

 

綺咲愛里さん(マルグリット

綺咲さんはふわふわして女の子らしいイメージだったのだが、マルグリットは元・革命の志士らしく、気高く美しい女性だった。夫パーシーを信じたいのにすれ違ってしまい、元カレ・ショーヴランがその隙間に入り込もうとする。革命政府に捕らわれた弟アルマン(瀬央ゆりあさん)を助けてほしいとショーヴランにすがったと思いきや、少し後にパーシーの手を取って「あなたの力が必要」と言う。めっちゃオンナを出してくるのである。だが、マルグリットが物語をかき回しているのではないか?という疑問は、圧倒的な可愛さを前にして消えてなくなった。つんと澄ました表情も、気落ちした表情も可愛い。可愛いは正義。私はこれからもヒガシマルのうどんスープ*9を愛用しようと固く心に誓った。

それでも、マルグリットが、パーシーを慕うルイ・シャルル(星蘭ひとみさん。顔面の完成度がめっちゃ高い。)から「ひとかけらの勇気」の歌を教わり、パーシーの真意と自分への愛情に気付く場面や、グラパンに扮したパーシーがマルグリット(グラパンがパーシーだと知らない)の本音を聞く場面など、ずれてしまった夫婦の歯車が少しずつ噛みあっていく様子が感動的だった。ラストシーン、船の上で寄り添う二人は心が通い合っているようだった。色々あってヒーローとヒロインがくっつく話ではなく、結婚した二人がすれ違いを経てさらに強固な関係を築く物語で、まさに「夫婦を超えていけ」だなあと思った。

 

礼真琴さん(ショーヴラン)

厳しい上司ロベスピエール(七海ひろきさん)とポンコツな部下たちに挟まれる革命政府の中間管理職(たたき上げの苦労人)であり、冷徹な敵役である。礼さんは小柄な体のどこから出ているのかと思うほどに迫力と安定感のある歌声で、体が座席の背もたれに押し付けられるかのように圧倒された。また、元カノ・マルグリットに未練タラタラで、人妻なのにやたらと腕や肩を掴んで「俺の女」扱いするのにソワソワしてしまった。一方マルグリットは冷静で、革命の熱狂を愛と勘違いしたのよ、と彼を突き放す。文化祭の準備中にカップルが生まれやすいようなアレだよショーヴラン、と思った。

お芝居の最後、下手から白っぽい衣装の人物が出てきて「ひとかけらの勇気」を歌い出した。それは礼さんであり、お芝居の続きではなくフィナーレの序章だったのだが、唐突な新キャラの登場に混乱し、終わってから友人に「あれ誰?」と聞いてしまった。ショーヴランはそれほどの悪人ではないのに、パーシーにやり込められてしまって若干可哀想に思っていたのだが、後味の悪さを払拭する意味でキレイなショーヴランが登場したのではないかという気がした。

 

スカーレット・ピンパーネル団のみなさん

パーシーと共に革命政府から王太子ルイ・シャルルとフランス貴族を救い出す仲間たち。十碧れいやさんと麻央侑希さんの高身長シンメ感や、瀬央ゆりあさんのシュッとした優等生っぽさが中島裕翔さんを彷彿とさせるなど、ジャニオタ的に色々グッとくるところがあったのだが、特筆すべきは図書室のシーンである。

スカピンと疑われないようにド派手な服装で舞踏会に繰り出そう!と歌い踊りながら、次々とカラフルなアニマル柄のロングコート衣装に着替えていく。すごい既視感。ヒョウ柄のロングコートなら、去年の冬に東京ドームで見た*10。情報量の多いカラフルな衣装を着せられがちなグループのファンなので、スカピン団のみなさんが他人とは思えなかった*11

 

夏樹れいさん(サン・シール侯爵、他)

ギロチンが置かれたバスティーユ広場で、スカピンの協力者であるサン・シール侯爵が公安委員のショーヴランに処刑される場面。スカピンの秘密を守り通したサン・シール侯爵の、ギロチンを前にしてなお貴族の誇りを失わない澄んだ表情が印象的だった。礼さんも夏樹さんもお歌が上手く、歌唱力の殴り合いのような迫力があり、ギロチンを取り囲む民衆のくたびれた感も相まって、暗澹とした時代を象徴しているようだった。

夏樹さんはブリドリネクストで「カレーに旗を立てるバーデンダー」として覚え、役名のない役のときやショーでも識別しやすく目に留まる存在だったのだが、生で見てあらためて魅力的だなと思った。

 

七海ひろきさん(ロベスピエール

ジャコバン党の指導者であり、革命政府の長。七海さんは歴史書などを読み込んでロベスピエールを研究したらしく、ブリドリ等で見せるほんわかとした表情とはうってかわって、鋭い目線と威圧感のある声色で、ロベスピエールが憑依したかのような演技だった。反面、座談会では「普段怒ることがないので、人生であった腹立たしいことを思い出して舞台に臨んでいる」という聖人ぶりを感じさせる役作り秘話を語っていて、そのギャップが素敵だった。

崇高な理想を掲げたはずの革命は、過激な粛清が常態化した恐怖政治となり、次第に民衆の心も離れていく。スカピンたちと革命政府は単純な善悪の二項対立ではなく、ロベスピエールは彼の正義と信念を貫いているだけであることが、「ロベスピエールの焦燥」から伝わってきて、歴史好きとして非常に心を揺さぶられた。友人はもちろんロベスピエールに肩入れしているので、「ロベスピエールは消えろ!」と非難されてしょんぼりする七海さんを見て心を痛めていた。

ちなみに友人は宝塚大劇場東京宝塚劇場で複数回スカピンを観劇しており、彼女がオペラグラスを構えると七海さんが登場するので、出番がとてもわかりやすかった。暗転中から素早くオペラを取り出す様は、手練れのジャニオタと何ら変わりなかった。私も双眼鏡で七海さんを追っていたのだが、幕間に友人から「一幕の最後、ギロチンの前に立ってる時に、指を一本ずつ折っていくところが良いんだよね……」と聞き、さすがにポイントを押さえていると驚かされた。二幕で注意して見てみると、たしかに指先まで神経をめぐらせているようで、ノーブルな雰囲気と所作が美しかった。

 

フィナーレ

前述の礼さんによる「ひとかけらの勇気」から始まり、紅色の衣装に身を包んだフレッシュなみなさんによるロケット(ラインダンス)、大量の女子を侍らせた紅さんの妖艶なダンスと、息つく間もなく美しい人々が登場し歌い踊る。

一番テンションが上がったのが、男役のみなさんによる群舞だった。赤と黒のジャケット+ロングブーツ+サーベルの破壊力。華麗にサーベルを振り回すたびに、会場の女性たちがザクザクと斬られていくのがわかった。かっこいいお顔をアップで見たいが、広い画角で揃ったダンスも見たい。美の波状攻撃にワタワタしている間に場面が転換し、紅さんと綺咲さんのトップコンビによるデュエットダンスが始まる。純白の衣装が眩しくて幸せそうで、パーシーとマルグリットの本当の結婚式のようだった。

最後、全員集合のパレードでは階段もシャンシャン*12もピカピカ光っていて、ゴージャスな羽を背負った紅さんをはじめ、組子のみなさんがずらりと並ぶ様子が圧巻で、客席の手拍子もあいまって、年が明けたのかと錯覚するようなおめでたさだった*13。余談だが、紅はこべの花をモチーフにしたシャンシャンはとても可愛らしく、セボンスターにして売ったら女児にウケそうだと思った。

私は大人になってから、小説もドラマも漫画も、負の方向に心を揺さぶられるのがしんどくて、特に後味の悪いものは受け付けなくなった。ジャニオタのフォロワーさんが語っていたのだが、タカラヅカは、たとえ物語が100%のハッピーエンドでなくても、必ず賑やかで華やかなフィナーレで終わるから、晴れ晴れとした気分で帰れる。全くその通りで、とても信頼できるエンターテイメントだと思った。

 

ジャニオタ的な気づき

まずは、東京公演中に宝塚大劇場でのスカピンがDVD・Blu-rayで発売されているという仕事の早さに驚いた。編集に時間を要することや特典映像がつくことを考慮すると、一概には比較できないが、ジャニーズではコンサート終わりからDVD等の発売まで約半年かかることも珍しくない。そして劇中の写真もすでに販売されているという衝撃。これができれば闇写・闇ショ*14が減るのではないかと思う。

 

なにより、公式チャンネルで過去の作品などが見られることが羨ましい。ジャニーズの後発ファンになってまず立ちはだかるのが、過去の映像をいかにして見るかという問題だと思う。伝道師のような古参のファンが身近にいればよいが、コンサートや舞台に至っては、映像化されていないものも多い。また、現行のテレビ番組であっても放送されていない地域があり、日々難民が発生している。

非公式なものをシャットアウトするためにも、ジャニーズ公式チャンネルがあればいいのにと思う。そうすれば大倉くんに「(クロニクルを)デイリーモーションで見てるんやろ」と揶揄されることもなくなるのだ。スカステも他の専門チャンネルに比べると月額が高め(2,700円)らしいが、「言い値で買うから円盤を出してくれ」と望むジャニオタは少なくないはずだから、権利のアレコレにお金をブッ込んでもペイできる価格設定にしてもらって構わない。映像も大して編集しなくていいから、なんならエフェクトとかいらないし、特にダンスでは踊っている自担の全身を引きのカメラで撮ってください。

 

ジャニーズとの共通点もあって、そのひとつに「トンチキに馴らされている」ということが挙げられる*15。ある公演について「久々のトンチキ」「ストーリーはトンチキだけどむしろ組子を見るのに集中できて良い」などの意見を目にして、タカラヅカにもトンチキという概念が存在することに驚いたのだが、友人曰く「昔は特にほぼトンチキだったので、我々ヅカオタはトンチキでも見てしまうように訓練されている」とのことだった。

わかる。トンチキはだんだん病みつきになってくる。たとえば昨年Mステに出ていた、勝利&健人withジャニーズJr.のパフォーマンスは、最初こそ「何を見せられているんだ!?」と腰を抜かしたものの、つい繰り返し見てしまい、「jetなdoするlifeなう……」とつぶやきだすほどの中毒性があった。トンチキを美しい人たちが全力でやっているというアンバランスさが、我々を惹きつけてやまないのだと思う。

 

おわりにー舞台に立つ誰かを応援すること

帰り道、これが最後のスカピン観劇だという友人は「もう七海さんのロベピが観れない……」と意気消沈していた。時を同じくして、私のタイムラインも、横山くんの舞台の東京千秋楽を惜しむ声にあふれており、それを見た大倉くんと安田くん(彼らはまだ東京で舞台公演中なのだが)のファンも、きたるその日を想像して悲しみに暮れていた。舞台の生の空間は毎回違うし、その世界もキャラクターも、期間が終わってしまえばもう二度と対面することができない。だからこそおたくは皆、指先の動き、声の響き、滴る汗、一瞬の表情、感情の機微、さらには出演者と観客が一体となった空気感などを五感で受け止め、忘れたくない感動を胸にしまって反芻し、出会いと喪失を繰り返しながら生きているのだなあと思った。

 

そして後日。私は友人が参加した七海さんのお茶会*16において、七海さんが、諦めない、と言ったことを知った。

トップ・二番手・三番手という序列がある世界で、七海さんはあまりガツガツしておらず、彼女を愛するファンは若干もどかしく思っていたこと、七海さんより学年が下の礼真琴さんが二番手らしいことを友人から聞いていたので、七海さんの決意と、それを受けたファンの心情を思うとたまらない気持ちになった。さらに七海さんは、次のような発言をしていたらしい。

 「絶対に後悔させないので、私の宝塚人生最後の日までついてきてください。みなさんの時間を私にください」

 それを知った瞬間、自分でも驚くほど心が震えて、涙が出そうだった。後悔させない、そう言ってくれる人を応援して後悔なんかするはずないのに、なんてファンに対して誠実な人なんだと思った。一回観劇しただけの人間にも、応援したいと思わせるほどの力がある言葉だった。思わず友人に「七海さんを応援したい、七海さんがまた観たい」とメッセージを送った。

 

タカラヅカでもジャニーズでも、顔がかっこいいとか歌やダンスや演技が上手いとか面白いとか、入り口はわかりやすくても、いつの間にか、その人の仕事・仲間・ファンに対するスタンスや、生き様みたいなものに惹かれていって、自分の中で代替できない存在になっていくこと、結果だけではなくその軌跡すらいとおしく感じること、微力でもその人の力になりたいと思い行動すること、それが誰かを応援するということであると思った*17

この人について行ったらどんな景色が見れるのだろうという期待と興奮を抱え、そして浴びるほどのときめきと潤いをもらいながら、私たちは今日も誰かを応援している。

 

*1:いわゆる「推し」。ジャニーズで言うところの「担当」。

*2:タカラヅカのみなさんのことは「ジェンヌ」「生徒」「組子」等と呼ぶ。みなさんの総称は、たとえば星組なら「星組生」らしい。

*3:CSのタカラヅカ専門チャンネル。通称「スカステ」

*4:スターさんが組のみなさんとやりたいことをやる番組。通称「ブリドリ」「ブリドリネクスト」。

*5:どことなくキスマイの某番組や嵐の某番組にインスパイアされたような演出がある。

*6:関ジャニ∞でたとえるなら、「関ジャニ∞クロニクル」を見て「初老の渋谷すばるさん」「パスポート取りたいんデスの横山裕さん」「ワイワイパニックの村上信五さん」と覚えるような感じだと思う。

*7:中山優馬さんや手越祐也さんに似ている美形な方だと思う。

*8:ジャニーズでたとえるなら、Mステで嵐のバックについていたJr.の子が気になったという人に、「ザ少年倶楽部」の映像を貸し与えるような感じだと思う。

*9:綺咲愛里さんはヒガシマルのキャラクターを務めている。

*10:関ジャニ∞のツアー「関ジャニ’sエイターテインメント」オープニング衣装。

*11:なお、宝塚大劇場でスカピンを見た別の友人(非ジャニオタ)も「あそこめっちゃ関ジャニみあった」と言っていたので、もはやパブリックイメージといってもいい。

*12:ブーケのような小道具。

*13:ジャニオタは美しい人々が全員集合して賑やかに歌い踊る様子を見ると、カウントダウンコンサートを連想して「年が明けた」と言いがち。

*14:コンサートの盗撮写真とそれを売る非公式ショップ。

*15:以下、そもそもトンチキではないというご意見もあるかと思うが、個人の感想なのでご容赦いただきたい。

*16:生徒さんを囲む会。ファンミーティングのようなもの。

*17:ただし、結局、顔がかっこいい等の原点に戻ってくることはよくある。

【ネタバレあり】あの日渋谷で見たゼウス~舞台 上を下へのジレッタ感想

横山くん主演の舞台、「上を下へのジレッタ」を見てから、ずっとフワフワした気分のままでいる。舞台の感想と、恒例のアイドル尊い論を書きたい。

 

・はじめに

関ジャニ∞のファンとして、これまで当然のように横山くんが美しい人であると認識していた。ところが、2016年夏ドラマ「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」をきっかけに、「横山くんが美しい」という事実が、圧倒的な実感を持って身に迫ってくるという体験をした。生きるためには水分が必要だという知識としての事実を、激辛麻婆豆腐を食べたあと水を一気に飲みほした時に痛感するように、横山くんの美しさが「言葉」ではなく「心」で理解できたのである。それは雷に打たれたような、世界が一瞬で変わってしまう衝撃だった。

 

私はとりつかれたようにONの録画を繰り返し視聴した。過去のコンサートDVDを横山くんに注目して見てみると、初見なのかと思うほどに新鮮な気付きがたくさんあり、これまでいかに自分が安田くん中心に見てきたかを思い知った。「よこちょ」「ゆうちん」という呼称が似合う雰囲気だったのに、年齢を重ねるにつれシュッとした「横山さん」になり、美しさに磨きがかかっていく様や、安田くんへの接し方がどんどんマイルドになり、もはや安田担なのではないかと思うほどの甘さをみせるようになった関係性の経年変化が、とても趣深かった。

また、本屋で横山くんが特集された雑誌を開いた次の瞬間、時間を吹っ飛ばされたかのようにレジに立っているという不思議体験も一度や二度ではなく、ONから映画「破門」にかけてのすさまじい雑誌ラッシュに、恍惚の表情でじゃぶじゃぶとお金をつぎ込んでいた。

 Web連載や番宣の露出も含め、麗しく優しくかっこいいお兄ちゃんで、たまに伸ばし棒やカタカナを間違える隙を見せる、手が綺麗なスーパーストイックアイドル横山くんに魅了された2016年-2017年だった。

 

そして2017年春、ONの東海林先輩、破門の二宮という魅力的なキャラクターを演じてきた横山くんが、手塚治虫原作の舞台「上を下へのジレッタ」に主演するという。野心家のテレビディレクター・門前市郎というダーク・ヒーローは、学生時代に間久部緑郎(ロック・ホーム)に心酔して出演作を読み漁った私の琴線をジャカジャカとかき鳴らした。辛くも立見のチケットを入手できた私は、ソワソワとその日を待った。ツイッターでは、しょこたんこと中川翔子さんが連発する「横山大明神」「ゼウスのような存在」等のパワーワードに盛り上がり、舞台への期待も高まっていた。

 

※以下、舞台及び原作のストーリー、演出、結末等のネタバレがあります。ご注意ください。また、死角があった上にメモを取っていないので、あやふやな部分があります。ご容赦ください。

 

 ・舞台 上を下へのジレッタのこと

1960年代の東京。テレビディレクターの門前は、タブーを犯す演出が大手芸能プロ社長たちの逆鱗に触れてテレビ界を追われ、さらに契約結婚していた仕事のパートナー・間リエ(本仮屋ユイカさん)と強引に離婚する。

 

幕が上がり、ひとり舞台の中央に佇む門前(横山くん)が「すべてはまやかし すべては虚構」と静かに歌い出す。まず白百合のような美しい立ち姿に、呼吸を忘れるほど引き込まれ、次いで、緊張感を切り裂いて伸びやかに響く歌声に、息ができなくなるほどの興奮を覚えた。

やがてバックから華やかなセットと演者さんたちが登場し、門前と共に狂乱のごとく歌い踊る。圧倒的な音楽とダンスの洪水に飲み込まれ、「テレビ番組のはずなのになぜディレクターの門前も歌って踊っているのか?」という脳内のマジレスが押し流され、これがストレートプレイでもミュージカルでもない「妄想歌謡劇」であることを叩き込まれる。

門前はやり手だが強引、突拍子もない発想で周りを振り回す人物で、まさにトリックスターの名にふさわしい。キービジュアル公開時に驚きの声が上がっていたとおり、門前が横山くんに寄せてきたのかと思うほどにはまっていた。リエは凛とした大人の女性で、ツイッギーのようなマリークヮントのような、60年代の洗練されたファッションとつやつやのボブがよく似合っていた。

門前とリエのもどかしい関係は物語の見どころのひとつだと思っていて、失業のついでに離婚するくだりでは、心の中で「離婚すな!!」と叫んでしまった。私は双眼鏡を構えながら、位置的に死角となっている部分については、Web写真に写り込む影からアイドルの存在を感じ取ってきたジャニオタの心眼で見ながら悶え苦しんでいた。

 

再起を画策する門前は、前述の芸能プロをクビになった越後君子(中川翔子さん)を拾い、空腹時だけ絶世の美女になるという特性と歌唱力を買って、小百合チエとしてタレント契約を結ぶ。チエを絶食させる門前の前に、チエと同郷で漫画家の卵である恋人・山辺音彦(浜野謙太さん)が現れる。平常時のふくよかなチエを愛する山辺は激怒し、なんやかんやあって門前ともみ合った結果、工事現場の地中深くに転落してしまう。

 

お人形さんという形容では足りないくらいに、チエがとにかく可愛い。歌手として成功したいという夢を持ちつつも、門前に言われるがままに従ってしまうチエは、庇護欲をかきたてる素朴な田舎少女のようで、リエとは対照的である。山辺は原作の雰囲気そのままで、冴えない見た目とソウルフルな歌声のギャップが魅力的だった。この二人の牧歌的でプラトニックな恋愛もとてもよろしかった。

 

門前は、姿を見せない山辺のことを誤魔化し続け、すぐに何か食べようとするチエをなだめすかして売り出す。敏腕ぶりを発揮して海外の有名スターとの共演を取り付け、チエは一躍脚光を浴びるが、なんやかんやあって公演は失敗。門前は再び業界での地位を失ってしまう。 失意の彼を迎えたのは、元妻のリエだった。

 

「そろそろ来る頃だと思っていたわ」と言い放つリエは、去る者追わず来るもの拒まずで受け入れる港のような女であり、門前に対してブレーンや契約結婚の範疇を超えた感情を抱いていることをうかがわせる。門前も、唯一チエに対しては弱さを見せており、傲慢でプライドの高い彼の人間的な魅力がにじみ出ていると思った。怒涛のストーリー展開を見せるこの舞台にあって、二人のシーンは緩急の「緩」のように感じた。

 

一方、死亡したかと思われた山辺は、妄想と漫画の没アイデアが入り混じったバーチャルリアリティーの世界・ジレッタを生み出していた。門前は、テレビに代わるメディアとしてジレッタを利用することを企む。門前は都合よくリエに協力を求めるも、「チエと別れること」を条件に出されてしまう。

 

ジレッタは、他人が入り込んで体験できる山辺の妄想世界である。原作ではエロ・グロ・ナンセンスや風刺的な描写があったが、舞台では茶目っ気はそのままに、少しの毒気を残しながら、歌とダンスと舞台装置によってきらびやかに表現されていた。

リエが猛烈に嫉妬心を燃やしているのに対し、チエと別れる気などさらさらない門前は、リエの追及をのらりくらりとかわして、「女の嫉妬に付き合っている暇はない」といった趣旨のひとりごとを吐く(壮大なフラグ)。

 

スポンサーを得た門前は、山辺を丸め込み、ジレッタをビジネスとして展開する。さらにジレッタは日本政府によるプロパガンダへと発展していく。ジレッタの全国放送直前、リエが門前の元に訪れ、別の男性と結婚してジュネーブに行くと言い、彼に別れを告げる。プライドを傷つけられた門前は、全国放送ででたらめな妄想を流すよう山辺に指示し、混乱に乗じて国外逃亡することを画策する。行先は、ジュネーブ

 

全編を通して黒いスーツに身を包んでいる門前だが、政府を味方につけた後のシーンではベロアのジャケットを着ており、あからさまな「成功した感」がとてもいとおしい。

リエは門前に対し「あなたは平凡な男に成り下がってしまった」と言い放つ。しかし、捨てられた復讐という感じはしない。彼女は門前の唯一の理解者であり、斬新な企画を次々と実現させる彼の手腕だけではなく、自らがその仕掛けを楽しんでいるような、エンターテイナーとしての純粋さを深く愛していたのだと思わせる。そもそも別れを告げること自体が未練の表れであることが伝わってきて、たまらない気持ちになった。

ここで二人の間の矢印が反転し、門前は手に入れた地位や基盤をかなぐり捨ててリエを追いかける。行先は、ジュネーブ(わかりやすく可愛い)。フラグの回収が期待通りで、心の中で拍手してしまった。

 

ジュネーブへの道中、飛行機の超音波かなにかと山辺のなにかが共鳴し、装置なしに、より広範囲の人々をジレッタに連れ込むことができるようになる。門前は進化した山辺の能力を利用し、全世界の人間を対象に地球最後の日という妄想を見せようと企む。

門前から終末のジレッタ構想を聞いたリエは夫を守るため、山辺と話をつけようとするも、チエを巻き込んで修羅場になり、女同士の嫉妬が爆発した結果、チエは川に転落してしまう。

 

物語の中で私が一番ぐっときたのが、門前がリエに「ずっとなにも 変わりはない 出会った頃から 東京でも ジュネーブでも 欠けてるピースは すぐ目の前にあるよ」と思いを告げる舞台オリジナルのシーン。

本当に必要な存在にようやく気付いた門前は「"Never let me go"?」と甘く真摯に歌いかけるが、時すでに遅くリエは門前の手をすり抜けていく。横山くん、去年の夏はあんなに「Never let you go」と歌っていたのに。*1

 

飛行機のシーン以降、聴診器を山辺の体にあてる、専用の劇場でヘッドホンをつける、といったジレッタへの明らかな導入がなくなり、劇中歌やミュージカル的表現としての歌と、ジレッタ世界の境界が曖昧になってくる。

ここにきて、山辺自身にも変化が起きる。「世界にお前の力を見せてやれ(ニュアンス)」と門前に煽られて火がつき、破滅のジレッタで世界を驚かせてやると息巻く。そんな山辺を見て、チエは「まるで先生(門前)みたい」と嘆く。夢を叶え幸せになろうとふたり手を取り合い地方から出てきたのに、文字通り随分と遠くに行ってしまったと思った。

 

山辺のジレッタを止めようとするリエは、「この女と門前の関係を知っているの?」と問いかける。悲劇のヒロインのようだったチエだが、山辺に知られそうになった途端、烈火のごとく怒りだす。当然ながら門前は職権乱用の鬼畜Pだし、公演失敗の負い目や金銭的事情が背景にあったことを思うと、チエが可哀想で胸が痛む。しかし、門前との関係を続けながら、一方で山辺には隠し通して結婚するつもりだったこと思うと、「チエちゃん、、、門前に弱みを握られたんだよね。チエは悪くない!( T_T)\(^-^ )でも、可愛い顔してなかなかやるね(゚o゚;;なんだかドキドキしてきちゃったよε-(´∀`; )」と私の中のオジサンが覚醒してしまった。

 

病院で意識が回復したチエは、山辺に「世界中が認めなくたって わたしが認めてあげる」と歌いかけるが、力尽きて亡くなってしまう。チエのいない世界に意味はないと自暴自棄になった山辺は、世界最後の日のジレッタを実行し、その中でチエの元へと旅立つ。妄想が現実世界を凌駕し、門前は終わらせる者がいなくなったジレッタの闇に飲み込まれ、幕が下りる。

 

リエが門前の童心に惹かれていたように、チエは地味ながら誠実な山辺が好きだったのに、みな夢を追い愛を求めていただけだったのに、肥大した欲望のせいですれ違い、行き着いた先は破滅だった。チエは死ぬまで報われない役だったが、終末のジレッタにおいて、山辺と優しく見つめ合いながら白い光に包まれるシーンが、死後にようやく安寧を得たエリザベートトートの姿に重なり、カタルシスを感じた(突然の宝塚)。

一方、門前が悲痛な叫びをあげながらフェードアウトしていく様は、見ていられない程で、胸を刺される思いだった。彼は欲深く自己中心的で冷徹なキャラクターだったが、自業自得、ザマァとは到底思えなかった。

門前は転んでもただでは起きない男だから、ジレッタの世界を生き抜いてのし上がり、テレビやジレッタに匹敵するような、人々を驚かす仕掛けをやってのけるのではないかと期待せざるを得ない。なぜなら、ゼウスは森羅万象を支配し、混沌の世界に秩序を与える全能の神であるから。

 

 原作を読んだ段階では、チエが「空腹時だけ絶世の美女になる」という設定、ジレッタ中の荒唐無稽な妄想、めまぐるしく転換する場面をどのように舞台上で見せるのか想像がつかなかった。だが始まってみると、疑問はすべてきれいに解消されて、何の違和感もなくその世界に入り込んでいた。歌がキャラクター紹介やストーリー説明の役割を担っていて、情報量の多い物語をコンパクトかつダイナミックに見せていた。作品全体が多種多様な楽曲とダンスで彩られており、見て・聞いているだけで脳内麻薬がドバドバ放出され、フワフワとトリップするような錯覚を覚えた。

そして当たり前なのだが、チエのバックダンサー、ジレッタ世界の住人、飛行機内の人々などを演じる役者さんたちは、歌もダンスも演技もお上手で、衣装も可愛らしく、とにかく目が忙しかった。出番や衣装チェンジが多く相当にハードだと思われるが、それすら楽しんでいるような様子が眩しかった。

私の観劇予定はこの一回だけだったので、これがもう二度と体験できないのかと思うと残念で仕方なかった。なにより横山くんがとにかく歌って踊って叫んで鬼気迫る演技で、観客は全員横山ゼウス裕に飲み込まれ、カーテンコールでゼウスの頭がカチ割れて、スポーンと放出された感じだった。終わってからしばらくは放心状態で、この世界もジレッタなのではないかという胡蝶の夢状態に陥り、ふと気がつくと、円山町のラブホテル街に迷い込んでいた。

 

・ジャニーズ強い、尊いということ

ジャニーズは実力ある俳優を差し置いて、見た目の良さと事務所のごり押しで主役に収まり、棒演技で作品を台無しにするという不満は、ネットで嫌というほど見た。おとなしく上裸にジャケットで乳首をチラチラ見せて、下手くそな安い歌でバカな女をキャーキャー言わせておけばいいのに、こちらの領域を侵犯することが許せないというドラマ・音楽・演劇ファンもいるかもしれない。私もジャニオタになる前は、どこかでそんな風に軽んじていた気がする。

だが、彼らはアイドルという存在が色眼鏡で見られがちなのを百も承知で、枠に収まらず様々な分野に挑戦し続けている。何本ものレギュラー番組、コンスタントなCDリリース、五大ドームツアーと、既存のファン相手だけで、十分やっていけるほどの売れっ子にもかかわらず。そして乳首はチラチラではなく堂々と見せるタイプのアイドルだった。今回横山くんの舞台を通じて、ジャニーズってやっぱ強いよなあと思った。

 

まず第一に、主役にふさわしい華と知名度があること。門前が危険な色気溢れるダーク・ヒーローであると同時に、憎みきれない魅力を持つキャラクターに仕上がっていたのは、実存を疑われるほど*2の横山くんの美しさと、「お昼の日テレとかで見るなぁ」という親近感によるものだと思う。そしてアイドルであるから、自分の見せ方を知っている。その華やかさが観客を惹きつけ、物語は深みを増す。ファンの欲目かもしれないが、横山くんが演じていたからこそ、ラストシーンはとてもドラマチックになっていたと思う。

次に、ジェネラリストとしての経験。何かを経験することは、その知識ややり方を身につけるだけではなく、汎用性のある考え方やアプローチの仕方を学ぶことである。横山くんは物事のコアの部分を理解して吸収するのが特に上手い人だと思う。本仮屋ユイカさんが「集中力が途切れない。スタッフさんと共演者の橋渡しをしてくれる」と言っていたように、コンサート、ドラマ、バラエティ等、ジャニーズとして場数を踏んできたからこそ、全体を見渡して人をまとめ、求められるものを察知して素早くそれに応えることができるのだろう。

 最後に、強みというよりはアイドルの尊さなのだが、美しい白鳥のようであるのに、バタ足しているところを見せてくれるという点。横山くんは2か月のボイトレを積んで舞台に臨んだという。歌への苦手意識は常々語っていたが、それを感じさせないほど、声が太くて伸びやかだと思ったし、技量だけではなくて、観客の心を揺さぶる熱が込められていた。

彼は30歳を過ぎてからトランペットを始め、体をバッキバキに鍛えるようになり、上達も失敗も含め、ファンにその過程を見せてきたと思う。特殊な才能を持った人だからアイドルなのだが、それに甘んじずストイックに努力し続けている。ファンはその姿に勇気と活力をもらえる。レベルは違えど、自分も努力すれば変われるのではないかという気がしてくる(ちなみに私の夫は関ジャニ∞のファンではないが、テレビ等で横山くんの体を見るたびに「横山バッキバキやん、かっこええなあ」と言っており、因果関係はわからないものの、しばらくしてジムに通い始めた)。

観劇中、嘘みたいに端正な顔から滴る汗を目にして、「横山くん、生きてる……」と思った。アイドルは暗闇を照らす神のような存在でありながら、自分と同じように生きているひとりの人間なのだ*3

 

・おわりに

昨年のドリフェスや先日のメトロックなど、すばるくんはアウェーでいつも、「関ジャニ∞ってアイドルやってます」とあいさつする。それは「アイドルやしちょっとくらい下手でも許したってや」「俺らアイドルにしてはなかなかやるやろ」という意味ではなくて、その道一筋のプロに敬意を払いながら、なんでもやりつつもどれも手を抜かないのがアイドルだという、決意とプライドの表れだと思う。

 

ジャニーズを軽んじる人に真っ向から反論する気はない。しかし誰かを見下すより、応援した方が何倍も楽しいし、ファンでよかったなと思うことがコンスタントに起きるので、エンタメとしてめちゃくちゃにコスパがいいと思う。そしてファンになってからも、いつどこで彼らに度肝を抜かれるか予想がつかない。だから楽しい。

 

 

*1:2016年夏のアリーナツアー「関ジャニ∞リサイタル 真夏の俺らは罪なヤツ」。「Dye D?」で「Never let you go」と「熱中症」をかけた空耳ネタが披露され、横山くんは毎回熱中症で倒れる役だった。かっこいいダンス曲なのに、あれ以来熱中症がちらついて変な気分になるとの声多数。

*2:メトロックで初めて生の横山くんを目にした人の感想に「彼だけ初音ミクのように投影されているみたいだった」というのがあった。

*3:テレビガイドアルファでヤスくんが「見る者の欲望に合わせ、スター性と等身大の両面を行き来できることがアイドルの真髄」と語っていた。

マッサージ探偵ジョーが面白い~ミステリの様式美とトンデモ設定の調和~

先週から、「マッサージ探偵ジョー」のことばかり考えている。ずっと頭から離れないので、ダイレクトマーケティング的に同ドラマについて記事を書くことにした。

 

※以下、ミステリ部分のネタバレはしていませんが、第一話の内容や展開をモリモリ記載しています。

 

 

「マッサージ探偵ジョー」とは、テレビ東京・土曜深夜のドラマ枠「土曜ドラマ24」において、4月から放送が開始されたKAT-TUNの中丸雄一さん主演のサスペンスドラマである。探偵役がマッサージ師であり、容疑者にマッサージを施すことにより事件の謎を解くという新感覚ミステリで、テレ東深夜らしいお色気シーンと、実用的な「ツボ」の豆知識、さらに異常な中毒性を持つエンディングテーマ・ダンスと、とにかく見どころにあふれている。放送前から「マッサージ探偵」という絶妙なB級感の漂う響きと、マッサージ師の服が妙に似合う中丸くんのビジュアルがツイッターで話題になっていた。うすた京介先生の漫画で育った身として「カリスマ整体師 あおすじ吾郎」*1に似たにおいに惹かれ、意気込んで見たのだが、期待を上回る面白さだった。

 

 

オープニングでは、どこかで見たことのある名探偵たちのコスプレをした中丸くんが映し出される。頭脳が大人の小学生探偵、じっちゃんが有名な高校生探偵、実に面白い天才物理学者といった有名どころから、ジャニーズの先輩たちが演じた探偵まで、畳みかけるように現れる演出が、このドラマが探偵もののパロディであることを物語っており、攻めの姿勢を感じさせる。

 

本編にも、パロディや小ネタがこれでもかと詰め込まれている。横山めぐみさん演じるセクシーなマダムがシルクのローブを着て籐の椅子に座っているシーンはどう見てもエマニュエル夫人だし、マダムの裸体を隠していたバッグをジョーがよけて、あわや!と思いきや、フラワーアレンジメントで見えない、という二段仕込みの演出はエヴァンゲリオンを連想させる。

ダイエットサプリ「ヤセマクリマクリスティ」は、もちろん90年代のヴィジュアル系バンド「ラクリマ・クリスティー」が元ネタ*2であり、アラサーのツボを押さえたチョイスが憎い。インターホンのボタンを親指で押すシーンも、マッサージ師という設定を徹底していて文字通りグッときた。

 

コミュ障気味で猫背のジョーだが、ツボの名称を呪文のように唱えた途端、人が変わったように超絶テクニックでマッサージを施し、人体の秘密と事件の謎をほぐしていく。刑事が自信満々に披露する推理が頓挫したところで、ジョーが満を持して謎解きを始めるのが痛快だし、「謎がほぐれました」「事件のツボはここだ!」といった決め台詞も、ミステリの醍醐味である。

一方で、全体的な低予算感と適度なお色気も、テレ東深夜の面目躍如だと思う。ジョーのマッサージを受ける容疑者たちが男女問わず喘ぎまくる様子が、くだらなすぎて笑ってしまった。

脇を固めるキャラクターも魅力的だ。ハイテンションで可愛い、後輩マッサージ師兼探偵助手のあぐりや、おとぼけ刑事コンビのマネー&タイガー、頼もしくも秘めた目的をうかがわせる、ほぐす堂の主人・エコ婆など、強烈な個性を持つ面々が、寡黙なジョーに代わってサクサクとストーリーを展開させる。

 

パロディであることが、笑いを生み出すだけではなく、サクサク展開を可能にし、かつトンデモ設定を浸透させている秘訣だと思う。

たとえば昔話を題材にした漫才では、前提知識を利用し、手っ取り早く客を引き付けて、そこから逸脱することで笑いを生む。対して、最小限の説明で独特の世界観に引き込むことにより、そのルールの中で笑いを生むコントもある*3

このドラマでは、「探偵もの」という既存のフレームワークを意識させることで、視聴者は、①事件が起こり②状況説明があり③容疑者が集合し④探偵が謎を解く、という流れを予測し、脳内で補完することができる。おかげで、「体のツボを押して事件の謎を解く」という突拍子もない設定を驚くほどスムーズに受け入れていることに気付く。容疑者であったはずのジョーが突如、刑事を差し置いて容疑者たちを床に寝かせ、マッサージを施すといった多少強引な展開も、それ自体が笑うポイントであるし、むしろキッチュな世界観に沿った自然な流れのように感じられる。冒頭の名探偵パロディも、最高のつかみであると同時に、最高に効果的な導入だったのだと思った。

30分というごく短い時間で、名探偵による謎解きのカタルシスをもたらすばかりではなく、笑い、お色気、ツボの知識、さらには人間ドラマまで見せてしまう。「マッサージ探偵ジョー」は、ミステリの様式美とトンデモ設定が見事に調和した、おそるべきエンターテイメントなのだ。

 

さらに、エンディングまで気が抜けない。インド風の曲「お疲れサンクス」に合わせ、ジョーこと中丸くんが真顔で踊るのである。「逃げ恥」を彷彿とさせるキャッチーな歌とダンスは、謎の爽快感と中毒性がある。中丸くんはこの曲で「矢吹原丈」としてソロデビューを果たしており、配信サイトで3日連続1位を獲得したとニュースになっていた。「マッサージ探偵がドラマのエンディングでインド風の曲を歌い踊る」というヤバめの設定も、中丸くんが歌と踊りを本業とするジャニーズであることにより、違和感なく受け入れられる(気がする)。

同様に「欲求不満のマダムから全裸で迫られるも、見事な手さばきで快楽へと誘い、難を逃れる」という、男が貞操を守る謎展開も、アイドル中丸くんだからうなずけるものであるし、タブーの多いジャニーズだからこそ、ギリギリのネタが一層面白い。KAT-TUNのデビュー曲「Real Face」の有名な一節「ギリギリでいつも生きていたいから」は、このドラマの伏線だったのではないかとすら思えてくる。

 

ギリギリの中丸くんで思い出すのは、2015年ゼウスの番宣で、NEWS手越くんとニコ生に出演したことだ。出演といってもネットNGのジャニーズであるから、姿は映らない。芸人チーム(普通に映っている)と卓球等で対決しているのに、ジャニーズチームは声すらほとんど聞こえないという、シュールかつスレスレの演出だった。個人的にネットNGルールはやめてほしいと思っているが、そのせいで「顔は映っていないのにジャニーズの存在を感じさせる手とか影とかの写真」に興奮するという性癖が開発されてしまったので、ニコ生での限界に挑戦したネタが面白くて、中丸担と手越担が羨ましいと思った。ちなみに中丸くんは「声もなるべく出さないでください」という指示に早速「わかりました!」と答え、さらには事故的にカメラに映り込んでしまい、ギリギリどころかアウトだったと記憶している。

 

私はKAT-TUNと中丸くんには詳しくなかったのだが、今回、中丸くんがその童顔に反して背が高いこと、男らしくもすらりとして綺麗な手の持ち主であることを知って驚いた。この話を書くにあたって「中丸雄一 エピソード」「KAT-TUN コンビ」等で検索してしまったので、また新たな沼の縁に立っている気がしなくもない。

 

 

長々と語ったが、「マッサージ探偵ジョー」は、理屈をこねくり回すまでもなく、頭を空っぽにして楽しむことができるドラマだ。放送時間がやや遅いが、非常に実況向きなので、次回はツイッターでヤイヤイ騒ぎながら見たいと思っている。

一話完結なので第二話からでも楽しめるし、amazon Prime Videoでバックナンバーが見れるほか、テレビ放送に先立って最新話が配信されているので、気になった方はぜひ見ていただきたい。

土曜ドラマ「マッサージ探偵ジョー」は、テレビ東京系・日曜0:20~放送中!

 (公式サイト)

土曜ドラマ24「マッサージ探偵ジョー 」:テレビ東京

*1:ピューと吹く!ジャガー」の中で突如展開された別漫画

*2:うすた京介先生はコミックスのおまけページか何かで「メリー・ラクリマ・クリスティー」というネタを書いていた気がする。

*3:ラーメンズ笑い飯などは両方とも得意なイメージ

くるりライブツアー「チミの名は。」ファイナル/関ジャニ∞に歌ってほしいくるりの曲

 

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白い電車に乗っかって:前書き

ゆりかもめに揺られ、数年ぶりに訪れたダイバーシティ東京は、Diversityの名にふさわしく異国人観光客であふれており、一方で東京という名を冠しながら相変わらず地方のイオン感に満ちていた。

 

大学の友人から「岸田に似てる」と言われたことをきっかけに、くるりを聞き始めて10年ほどが経つ。「似てる」出のくるり担である。しかし彼らの楽曲のバックグラウンドや、音楽的・技術的なあれこれ、さらにパーソナルなことにはさほど詳しくない。離職率が話題になるほどにメンバーの入れ替わりが激しいバンドだが、くるりとは形而上の概念だと思っている節があるので、メンバーの変遷に一喜一憂することもなかった。ここ数年は新曲が出たことを知れば購入して聞く程度のゆるいファンであったが、2016年はくるり結成20周年のアニバーサリーイヤーであり、後述する新曲をどうしても生で聞きたくて、ツアーファイナルもといオーラスのチケットを取った。

 

はてなブログの「ジャニーズ」カテゴリに登録しながら毎度くるりの話ばかりしてしまって大変恐縮なのだが、関ジャニ∞くるりは関ジャムのセッションで共演したことであるし、「関ジャニ∞メンバーに歌ってほしいくるりの曲」について後半でつづるので、お互いなんとなく興味を持ったファン各位に読んでいただけるとありがたい。

 

強い向かい風吹くお台場で:開演までの記録

Zepp ダイバーシティ東京に併設された大型ショッピングモール・ダイバーシティ東京は、ライブまでの暇つぶしと腹ごなしに大変ありがたい存在である。広いフードコートは主にアジアからの観光客で大半の席が埋まっていた。しかし見渡すと、ぽつりぽつりと「それらしき」人が静かに食事をとっているのに気づく。あたかもスタンド使いが引かれ合うように、くるりファンはくるりファンを容易に発見することができる。一般人に擬態していても、髪型であるとか、服装であるとか、隠し切れないささやかな自己主張が目に止まるのだ。めがねに重めボブの私は、同志たちの気配を感じながら、はなまるうどんを胃に収めた。

 

しかし久しぶりのスタンディングライブに動揺した結果、早々に荷物をすべてロッカーに入れてしまい、開演まで30分間、仁王立ちする羽目になった。さらに致命的なことに、ポケットのない服を着てきてしまったため、ロッカーの鍵をもてあまし、迷った末にスカートのウエストに差すことにした。何年か前もライブハウスで同じ過ちを犯し、ブーツの中に鍵を収めたことを思い出した。なぜかライブに来る度に太もものホルスターに銃を隠す女暗殺者のようになってしまう。グッズ山盛りの袋を置いて着席できるジャニーズのコンサートのありがたみが身に沁みた。

 

話す相手もいないので、自然と周囲の会話が耳に入ってくる。

……コーラスの使い方とか○○の影響を受けてる感じだよね……△△のワンマンは二公演入った……石川さゆりって2009年と2011年に音博に出てるけどどっちの話?……

しまった!知識と経験でマウンティングしてくるタイプのサブカルに囲まれてしまった!30分の間に、フリッパーズ・ギターからSuchmosまで、一通りそれらしいアーティストの名前が出た。私は関ジャニ∞メンバーに歌ってほしいくるりの曲を妄想し、ジャニオタの鎧をまとうことでなんとか自我を保っていた。

 

ようやくくるりのメンバーがステージに姿を現す。ほっとするのもつかの間、聞き込んだ「ワンダーフォーゲル」のイントロを耳にした途端、私の中の京都の亡霊がどよめき始めた。

 

くるりとスイング・バイ:回顧と少しのライブ感想

私は東京に住んでいる。情報過多で時間の流れが速く息が詰まるような街で、何年住んでも好きになれないのだが、どうしようもなく便利である。上京してからずっと、地方出身者特有のルサンチマンと、依存と嫌悪の相反する感情がくすぶっている。居心地の悪さを感じながらも、いつの間にか東京に根を張ってしまった。

かつて私は京都の大学生だった。恐ろしく愚かで、若さと時間を贅沢に浪費していた。くるりのアルバム「アンテナ」や「NIKKI」をBGMに、京阪電車の窓から街を見下ろし、大学近くの喫茶店で友人と授業をサボり、飛び石の真ん中で泣き笑い、とにかく毎日が楽しくて目の前には世界が開けていた。実際には楽しいばかりではなかったはずなのだが、京都という街は思い出の中で都合よく美化されている。今ではあの店もなくなって友人もいなければ帰る場所もない。もうどこにもない私の京都が、くるりの曲の中にだけ生き残っている。

 

私が聞きたかった新曲「琥珀色の街、上海蟹の朝」は、中盤にさらりと披露された。この曲は端的に言うとチオビタに起用されない方のくるりである。タイトルどおり異国情緒あふれる舞台設定で、現代のようでいて、終末の迫る近未来のようでもある。だが、ネガティブで退廃的な街の描写と、好きな人と上海蟹を食べる多幸感の対比が不思議と心地よい。あまりの心地よさに全身の力が抜けて、ばらばらになって霧散していきそうになる。

何より私を惹きつけたのは、次のくだりである。

 

この街はとうに終わりが見えるけど 俺は君の味方だ

 もういいよそういうの 君はもうひとりじゃないから

 

架空の主人公「俺」と特定の女性「君(あなた)」の曲として聞いていると突然、「この街はとうに終わりが見えるけど 俺は君の味方だ」「もういいよ そういうの 君はもうひとりじゃないから」で、「俺」こと岸田さんの言葉が二次元を飛び出してきて、それまで傍観者であったはずの、「君」こと私の心をわしづかみにする感覚。初めて聞いた時はあまりの不意打ちに、朝の地下鉄のホームで立ち尽くしてしまった。

ストレートなメッセージを、優しいバラードでも骨太のロックでもなく、ナンセンスな押韻と共にチャイナ調の気だるいラップに乗せているところに、円熟した大人のテクニックを感じるし、ハズシが効いていておしゃれだと思う。

ギターを置き、マイクのコードをさばきながら歌う岸田さんの姿が痺れるほどにかっこよかった。自分の置かれた状況と音楽がシンクロし、迫力の演奏と温かく芯のある歌声に胸を打たれ、思わず涙がこぼれた。

 

くるりが「君の味方だ」と歌ったのは初めてではない。2003年に発表された曲、「HOW TO GO」のなかに次の歌詞がある。

 

いつかは想像を超える日が待っているのだろう 

毎日は過ぎてく でも僕は君の味方だよ

 

時が経てば大抵のことは解決するか、風化するか、諦めがつく。だが、その事実と、どうしようもなくつらい今をどう乗り切るかというのはまた別の問題である。ロックバンドの歌う一節は、ある種宗教的な力を持って、目の前の暗闇を照らしてくれる。

たしかに想像を超える日が待っていた。広島東洋カープセ・リーグの覇者になるのも、京都に鉄道博物館ができるのも、京都でプラプラしていた田舎者の大学生が、東京に住みジャニヲタになるのも。

もう京都は私の街とはいえないし、この街も私のものにはならない。でも、探査機が惑星の重力を利用して宇宙を進むように、私は力尽きかけた時に、これらの曲から推進力を得て加速し、この街を生き抜いていくことができるのだと思った。

 

MCで印象的だったのが「自分たちの新しいアルバムを自分たちが早く聴きたい。何言ってるか意味わからんやろうけど」とベースの佐藤さんが発言したことだ。自分たちの音楽を愛し、創作意欲にあふれていることが伝わってきて、わかる!!と叫びそうになってしまった。くるりが信頼できる音楽を20年間作り続け、私たちに届けてくれることがまさに「君の味方」であることを体現しているのであると思った。

そして、オーラスWアンコで「東京」来る!?というジャニヲタ的思考を裏切るように、「Liberty&Gravity」で賑やかに軽やかに幕を閉じた。「ばらの花」も「東京」もやらない、ある意味くるりらしいツアーファイナルであった。

 

関ジャニ∞に歌ってほしいくるりの曲

ジャムセッションで披露した神曲「ばらの花」も両方のオタクとしては失神ものだったのだが、さらに欲張って、関ジャニ∞メンバー各人とグループで歌ってほしいくるりの曲について考えてみた。

 

横山裕

「ワールズエンド・スーパーノヴァ

横山くん×デジタルっぽい感じis最強。淡々とした中に熱さが込められている感じが横山くんの声に似合うと思う。「僕らいつも笑って汗まみれ どこまでもゆける」は関ジャニ∞そのものだし、「いつまでもこのままでいい それは嘘 間違ってる」がストイックで貪欲で向上心の塊のような横山くんを表している。なにより理屈は抜きにして、横山くんの「ドゥルスタンスパンパン 僕ビートマシン」が聞きたい。「ドゥ」の破裂音の感じ。

「everybody feels the same」の「大阪!神戸!京都!」という煽りを聞きたいし、弟さんの結婚式でトランペットを吹いたというエピソードから連想されるのは「ロックンロール・ハネムーン」であり、祝福と希望に満ちたこの曲を横山くんが歌うことを想像すると幸福感のあまり倒れそうになる。

 

渋谷すばる

「HOW TO GO」

前述のとおり、すばるくんに「毎日は過ぎてく でも僕は君の味方だよ」と歌われると、どんな困難でも乗り越えられる気がする。すばるくんが歌う「HOW TO GO」を凝縮して物体にしてロケットペンダントに入れて肌身離さず持ち歩き、つらいときにそっと開いて見たい。

「すけべな女の子」「モノノケ姫」などの痺れるロックも似合うし、「Morning Paper」の「世界の果て届いてる? 解散しない 世界中の夢背負う群れ」などはオタク的に激エモなので是非にと願う。あるいは、関ジャムで女性ボーカル曲を優しく歌う時のように「言葉はさんかく こころは四角」もいい。「繋いだお手々を振り払うように」と穏やかに可愛らしく歌うすばるくんと歌詞の切なさとのギャップで身もだえしたい。

なお、今回のくるりライブにおいては途中からツインドラムにギター3本、ベースにキーボードの贅沢なバンド編成で進み、やがてドラムの森さんがパーカッションになり、岸田さんがブルースハープを吹き「Ring Ring Ring!」歌い出したところで、関ジャニ∞感がカンストしたということを付言しておく。

 

村上信五

アナーキー・イン・ザ・ムジーク」

突然のアルバム曲で申し訳ないが、村上くんの関西弁のイントネーションが好きすぎるためにこの曲を推したい。 そして村上くんはテレビでのザ・大阪人のイメージと、ライブなどでのセクシーさのギャップがすごいので、「当然 滑る手は真ん中セクシーランジェリーへ 全然 皮膚感のないまま僕の呼吸はずっと乱れっぱなし」と歌って、軽率に覗き込んだ人間を深い沼に突き落としてほしい。

イメージ先行を覆すかっこよさという点では、KINGのラップとR&Bも同様である。上記の琥珀色の街、上海蟹の朝」をクールかつウェットに歌ってもらいたい。「俺は君の味方だ」はトイプーの次に可愛いまっすぐなその瞳でカメラを見つめてどうぞ。路地裏のニャンコ。

 

丸山隆平

「リバー」

くるりといえば京都、京都といえば丸ちゃん。「淀み淀んだ河のそば 不良の真似事してみたい」のように、大人と少年の間のモラトリアムでエネルギーを持て余す、冴えない大学生のイメージが良く似合う。「よくある話 恋の向こう側」の連音のような歌い方が耳に心地いい、軽快なカントリー調の名曲をぜひ丸ちゃんに。

個人的に丸ちゃんの優しさと賑やかさの間に見え隠れする闇が好きなので、狂気をはらんだ深い愛情と愛郷心を歌った「街」も捨てがたい。京都関連では「宿はなし」の文学的な香りもいい。さらには「ハム食べたい」の変態性も丸ちゃんらしい。そして「終電終わってワンシャワー 笑顔も素っぴん ハムタイム」でリア恋をこじらせて死ぬ。

 

安田章大

「尼崎の魚」

「僕の身体は余りにも小さすぎて 陸上で暮らすには困難だ」とは、尼崎出身で身長164.5cm欲しいものはエラ呼吸のヤスくんのことを歌っているとしか思えない。ギターをギャンギャンかき鳴らしながら、オス感をまき散らして歌ってほしい。私はヤスくん前髪信者だが、これに関しては金髪オールバックで、衣装とスタイリングは尼崎テイストに定評のあるテレ東さんでお願いしたい。

ヤスくんは関ジャニ∞の中では岸田さんと一番声質や歌い方が似ていると思っているので、優しいラブソング「Baby I Love You」をアコギ弾き語りで歌ってほしいし、穏やかで温かい「旅の途中」のファルセットも聞きたい。「二人で背比べした夕暮れ キスしようよ 私のことつかまえてよ 次のバス停まで歩こうよ」に表れているような、日常の中にある確かな幸せが、ヤスくんの人柄によく似合う。

 

錦戸亮

「ハイウェイ」

どちらかといえば亮ちゃんは不言実行の人だろうが、「何かでっかい事してやろう きっとでっかい事してやろう」の野心や、「僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって」からの「僕には旅に出る理由なんて何ひとつない」という、本当はまっすぐなのにあまのじゃくな感じが彼らしいと思う。これもアコギでぜひに。同様に「トレイン・ロック・フェスティバル」の「気に食わん俺は約束は破る そんな寂しいこと言わないで」のひねくれた可愛さもいい。

亮ちゃんが作詞作曲した関ジャニ∞「Tokyoholic」は、微量の迷いと哀愁をはらんだ、赤裸々で力強い反骨精神の歌だと思う。鬱屈した思いを抱えながら東京で生きていく人たちを、背中を殴りつけるように叱咤激励してくれる。曲調は全く違うが、歌い手のパーソナルな姿を投影しながら、聞き手が共感できる普遍性があるという点で、「東京」に通じるものがある。「そんな上から見んなやこっちも必死なんじゃ」と歌う人が「君が素敵だった事 ちょっと思い出してみようかな」と女々しくこぼすことを想像すると母性が爆発する。

 

大倉忠義

「春風」

多幸感あふれるゆったりとして美しいこの曲を、大倉くんの魅力的な低音で聞きたい。「ここで涙が出ないのも幸せのひとつなんです」という感性が、上手く説明できないが大倉くんっぽいと思う。同じく多幸感シリーズで「BIRTHDAY」もいい。「少し濃いめの珈琲たてたら 寝ぼけた夢も君の匂いになる」という等身大の幸せが柔らかい声に合うと思うし、「日なたの若葉薫る風」が吹く季節に生まれた大倉くんにふさわしい曲。

キャンジャニ∞の中でも一際キャラ立ちしていた倉子ちゃんに歌ってほしいのが「スロウダンス」。正直この曲は男女の視点が入り組んでいる気がして意味がよく理解できないのだが、倉子ちゃんには「もっとつれないこと言って」ほしいし、「一度だけ抱いてほしいの」と本心か演技かわからない健気な誘惑をしてほしい。

 

関ジャニ∞

「ロックンロール」

どこを抜き出しても力強く儚く美しい、別れと再出発の歌を、バンドで聞きたい。「8の字描くように無限のビート グライダー飛ぶよ」は書下ろしかと思うほどにそのまんまだし、「さよなら また明日 言わなきゃいけないな」という幕引きも、近くて遠い存在であるアイドルにふさわしい。

 

くるりの曲を聞きたくなった方へ

くるりの20回転」

「聞き流すだけでくるりがわかる」と岸田さん自らが評した、デビュー曲「東京」から最新曲「琥珀色の街、上海蟹の朝」までのシングル曲を網羅したベストアルバム。iTunesにもあり。 

 

 「琥珀色の街、上海蟹の朝」YouTube公式チャンネルにMVのフルバージョンも公開されている。

その他、4月16日(金)までGYAO! MUSIC LIVEで、『「くるりの20回転」リリース記念ツアー「チミの名は。」』厳選集としてオーラスの映像が一部(といっても13曲も)配信されているので、ぜひ。残念ながら「~上海蟹」の映像はないが、元京都の大学生たちをノスタルジーで皆殺しにする「京都の大学生」、前述の「HOW TO GO」、圧巻の演奏だった「虹」、関ジャニ∞感がカンストした「Ring Ring Ring!」が見れる。

 

V6担兼NEWS担の友人とサブカルになりそこねた私の10年

親愛なる友人Sへ――

 

あなたと出会って、早いもので11年目になります。大学で同じクラスだったあなたと仲良くなり、あなたがジャニヲタであると知るのにさほど時間はかかりませんでした。2文ですでにだいたいの歳がばれてしまいましたが、あなたは中学生の頃からのV6三宅健さんファンであり、出会った頃にはすでにNEWS手越祐也さんのファンでもあったと思います。

私にとってV6は「学校へ行こう」でなじみのあるジャニーズでしたが、飛ぶ鳥を落とす勢いだった嵐に比べると、やや旬の過ぎたグループという印象でした。NEWSに至っては、山Pこと山下智久さん率いる大勢の男性たちという認識でしかありませんでした。正直なところ、ジャニーズはチャラチャラ歌い踊るイケメンの集団で、ティーンの女子がはしかのように熱を上げる対象であり、大人のジャニヲタは虚構の夢から醒めていない人種だと思っていました。大変失礼な話です。「他人のアイドルを笑うな!」と叫びながら自分をビンタしてやりたいくらいです。しかし大学生の私は、約10年後の自分が、好きなジャニーズアイドルが番組で着ていた衣装とほぼ同じくまのTシャツ*1を購入するなど、微塵も想像していませんでした。

これはジャニヲタのあなたと友達になってから、私がジャニヲタになるまでの思い出話です。長くなりますがお付き合いください。

 

あなたは私が人生で初めて出会ったガチのジャニヲタでした。同じコミュニティにジャニヲタがいなかったため、あなたはご家族やジャニヲタ友達とコンサート等に行っていたと記憶しています。ふわふわしておおらかな印象だったあなたが、何かのチケットの一般発売のために、恐ろしい集中力と指さばきで電話をかけまくる姿や、運動が苦手だというあなたが、何かのコンサート遠征のために、話しかけるのをためらうほどに新幹線ホームを全力ダッシュする姿を見て、なんだかジャニヲタはやばいなと思っていました。

ジャニヲタはやばいなエピソードの最たるものが、V6のコンサートと沖縄旅行の日程がバッティングした事件です。既に1公演は当選しているにもかかわらず、「その日V6当たったらそっち行くから」とあなたが言い放った時のショックは今でも忘れられません。私と友人は説得を試みましたが、あなたの決意は揺らぎませんでした。アイドルのコンサート>>>>>>我々の友情だったのです。結局あなたは落選して旅行に行くことになりましたが、ジャニヲタの異常な熱量と非情なリアリストぶりを垣間見た気がしました。

 

今思えば、私にも何度かジャニヲタへの分岐点がありました。その一つがドラマ、タイガー&ドラゴンです。私はセンターパートの細身な美青年だった岡田准一さんに目を奪われました。しばらくの期間、岡田くんが出ている番組は録画して見る等、彼に淡い好意を抱いていました。岡田くん、かっこいい。私の発言を受けたあなたは喜々として私を勧誘しました。しかし、私は明確な意志をもって断りました。ジャニヲタはなんだかやばいと思っていたからです。その沼の深さを本能的に察知し、脳が警鐘を鳴らしていたのかもしれません。そして私はもう一方の道を選び、同ドラマの主題歌を歌っていたクレイジーケンバンドのファンになりました。

 

山に囲まれたカルチャー不毛の地から関西に出てきた私にとって、大学の友人たちは博学で高度に文化的でした。サザンオールスターズMr.Childrenのファンだった私は、彼女らの影響を受け、いわゆるサブカルチャーに傾倒していきます。サブカルの定義については諸説あると思いますが、ややマイナーかつ知っていることにより若干の優越感にも似た自己満足を得られる趣味のジャンル及びその嗜好を指して、便宜的にサブカルという言葉を使用します。*2

私はくるり電気グルーヴを聞き、ラーメンズのライブに行き、攻殻機動隊を見て、FUDGEやダ・ヴィンチを読んでいました。好きな俳優は加瀬亮さんでした。こうして私はスーパーノヴァといえばワールズエンド、仁といえば片桐、亮といえば加瀬、草なぎといえば素子、タキといえば瀧*3といった嗜好を持つようになりました。

しかし音楽を例に出せば、NUMBERGIRLSUPERCARSAKEROCK筋肉少女帯もよく知りません。椎名林檎さんは好きですが戸川純さんは聞いていません。サウスパークは好きですがモンティ・パイソンは見ていません。たとえるなら、ジャニヲタを名乗りながら「アンダルシアに憧れて」や「愛のかたまり」を知らないといったところでしょうか。私が好きなサブカルはサブカルの中でも比較的メジャーな存在でしたが、それらに満足していたので、サブカルを体系だてて学ぶことや、未知のアーティストなどを知ることにはあまり気が進みませんでした。澁澤龍彦大塚英志を愛読し、土方巽暗黒舞踏を熱く語り、好きな映画にトレイン・スポッティングやヴァージン・スーサイズを挙げるような友人と比較すると、私はサブカルの浅瀬でチャプチャプと戯れているにすぎませんでした。

やがてサブカルに対する興味より義務感と劣等感が増大し、広く深くサブカルを知ろうとしない自分を恥じるようになります。サブカルは文化の分野ですが、面倒な自意識と親和性の高い概念でもあります。臆病な自尊心ゆえにサブカルの道に進んだ私は、尊大な羞恥心のせいでサブカルに敗北することとなりました。*4ナタリーさえチェックしていない私はサブカル女などではなく、ただの面倒な女でした。

 

面倒な女は、次第にPerfumeきゃりーぱみゅぱみゅ等、アイドル性のあるアーティストを好きになり、ももいろクローバーにたどり着きます。彼女らに心酔する一方で、ある疑念が膨らんでいきます。この「好き」はファッションではないのか?「かせきさいだぁが曲を提供してるからでんぱ組.incを聴いてみたんだけど、結構クセになるね」といったサブカルありきのアイドル好きというファッションではないのか?

私は再びアイデンティティクライシスに陥ります、永遠に出られない暗闇のラビリンス*5に迷い込んだのです。思い悩んだ結果、私が本当に好きなのはサブカルでもアイドルでもなく、クレイジーケンバンド2ちゃんねるまとめだという結論に至りました。私のメンタリティーはヨコハマのオヤジであり、ミーハーなおたくだったのです。

 

あなたとの思い出に話を戻しましょう。

就職に伴い、大学の友人たちは全国に散りました。離れてもSNS等で交流がありましたが、久しぶりに共通の友人の結婚式で再会します。あなたは顔を合わせるなり、重大な秘密を告白するような面持ちで口を開きました。

「この前、健くんと電話してん」

当時ジャニーズを騙る迷惑メールが流行していたこともあり、すぐさま「詐欺」の二文字が私と友人の頭をよぎりましたが、よくよく話を聞くと、健くんのラジオに投稿した質問が採用されたのことでした。我々は、ネタ的な面白さを感じながら、すごい!良かったね!と騒ぎました。しかし、オンエアを聞いた私は、少し違った感想を抱きます。

健くんと会話するあなたは、緊張していたのか、耳慣れた京都弁がうわずっているように思えました。そして電話の終わり際に、駆け込むように、ずっとファンであること、ライブに行くこと、これからも応援することを健くんに伝えました。そのトーンに、長年想いを寄せていた人に告白するような切実さを感じ、私は胸がいっぱいになりました。想像していた以上に、あなたにとってアイドルが大切な存在なのだと気づきました。

 

2013年7月、かの「パーナさん事件」が起こります。NEWSの野外コンサートが悪天候で中止・順延になり、多数の体調不良者と宿泊難民が出ました。真偽不明なツイートが拡散され、デマに翻弄されるジャニヲタ=短絡的で自己中心的な情報弱者というイメージは、常にハイエナのように批判の対象を求めているインターネットの格好の餌食となりました。「レイプ車がパーナさんを狙っている」等の破壊力のあるフレーズを笑って見ていた私ですが、あなたもこのコンサートに参加していたことを知ります。聡明で大人なあなたは、隣に座っていた女子高生を助けたのち、颯爽と会場を後にして飲みながらこの騒動をネットで傍観し、翌日の振替公演に参加したとのことでした。私にとってパーナさん事件は他人事でした。のちに私がファンになる関ジャニ∞も、悪天候や体調不良等のアクシデントに見舞われます。私はジャニヲタになり、喜び悲しみ受け入れて生きる*6ことを学ぶのです。

 

結婚・出産を経て、育児に疲れた私は、憂さ晴らしに純度100%の愉快さを求めはじめます。折しもデビュー10周年を迎えた関ジャニ∞をテレビで目にする機会が増え、彼らのバラエティスキルの高さと楽曲のキャッチーさなどに、だんだんと好感を抱くようになります。年末、ジャニーズカウントダウンを心待ちにしていた私は、この年に限ってテレビ放送がないことを知り、それはそれは落胆し、カウコンに参加するあなたを羨みました。しかしいざ蓋を開けてみると、実質マッチこと近藤真彦さんのソロコンというジャニーズ史に残る伝説のカウコンでした。自担の活躍を楽しみにはるばる東京まで遠征した結果、マッチソロコンで年を越したあなたの心境を思うと、胸が痛みます。

さて、育児中で可処分時間の少ない私はしばらく茶の間ファンを続けますが、ジャニーズについてつぶやくごとに、あなたから「ファンクラブへの入り方を教えようか?」「沼の底で待ってるよ」等とリプライがありました。それらがボディーブローのように効いていたのか、私はテレビでは飽き足らず、関ジャニ∞のCDやDVDを購入し、過去の作品を漁り、メンバーの個性や関係性を学習し、情報収集のためTwitterでジャニーズアカウントを作成します。さらに、岡田くんがHey!Say!JUMPの伊野尾慧さんを「発見」*7したのと時を同じくして、私はサブカルホイホイとでもいうべき伊野尾くんのスペックとビジュアルに転げ落ちていきます。タイガー&ドラゴンの時とは異なり、私は積極的にあなたに教えを乞い、ついに関ジャニ∞とHey!Say!JUMPのファンクラブに入会します。あなたと出会ってから9年が経っていました。

いま振り返ると、ジャニーズはサブリミナルのごとく生活のあちこちに潜んでいました。たまたま録画していた歌番組を再生すると、ハマる前の自担Gが出ていた。そういえばさまぁ~ずの三村さんが「キング・オブ・男!」が衝撃的だという話をしていた。何かにハマることを「沼」といいますが、これまで自分が沼の上に張った薄氷を歩いていたことに気付きます。どうしてもっと早く関心を持たなかったのかと後悔すると同時に、よくもまあ今まで落ちずに生きてこれたものだと思いました。

これを読んでいる非ジャニヲタの方も他人事ではありません。いつ、だれに、何のきっかけで足を滑らせるかわかないのです。「まさか、私が……ジャニーズなどに……」と滅ぼされる間際の魔王のようなセリフを吐きながら沼に沈んでいった人を何人も見ました。今は私を含め、みな沼の底で恍惚の表情を浮かべながらジャニーズを愛でています。はしかは、大人になってからかかる方が重症なのです。

 

2016年、ついに私はHey!Say!JUMPのコンサートに参加する権利を得ます。あなたにコンサートの心得を問うたところ、ずらりと長文で十か条の返信があり、年季の入ったジャニヲタを友に持ったことを心強く思いました。その中に、「コール&レスポンスがある歌は練習しておいた方がいい」という教えがありました。そして当日、ファンの圧倒的な若さに気後れしながらも、私は勇気を出して声を上げます。 

\ゴシゴシ私はスポンジで~す!!!!/*8

 その瞬間、自分の中で新しい扉が開いたのを感じました。日常のしがらみから解放され、魂が浄化される思いでした。それはまるで通過儀礼でした。ついに私は身も心もジャニヲタになったのです。

 

私がジャニーズの何に魅力を感じているのか考えてみました。おたくは息をするように、軽率に「尊い」と言いますが、実際にアイドルは尊いのです。外見やスキルが優れていることはもとより、ファンへの向き合い方、趣味嗜好、バックグラウンドや信条、経験に裏打ちされた自信、幾分かの自己犠牲とプロフェッショナリズム、時折見せる隙ですら、彼らを魅力的にみせます。さらに、ただでさえ魅力的な人が集まって、仲の良さや、少しの気まずさが、化学反応のようにいっそう魅力的で物語性のある関係を作っています。個の力が相乗効果で際限なく増幅して、圧倒的なキラキラの渦を生み出しているようです。そして、様々な分野に挑戦し、吸収・消化して、想像と期待を上回るアウトプットで返してくる姿や、時に理不尽な試練や困難に阻まれても、逃げずに克服する姿には胸を打たれ、自分を奮い立たせる勇気をもらえます。なにより、彼らがそのまたとない命を燃やし輝く様を、余すところなく見せてくれる存在であることが、奇跡的であり、眩しくて直視できないくらいに尊いのです。

 

また、ジャニーズはファンのスタンスが様々だと思います。デビュー組からJr.まで幅広くカバーする事務所担もいれば、デビュー前から関ジャニ∞のファンだけど他のグループはよく知らないという人もいます。疑似恋愛の対象として好きな人もいれば、音楽面が好きで楽曲の分析をしたりコピーをしたりする人もいます。そしてジャニーズの皆さんは、追いきれないほど多種多様かつ大量にメディアに露出しています。サブカルに挫折した私ですが、歳をとって「好き」のコントロールができるようになったのか、家庭や仕事でリソースが限られていることが逆に幸いしているのか、マイペースで応援できています。「好き」のあり方は自由でいいんだということを学びました。

さらに、前述のように、テレビだけでも相当な頻度で彼らを目にします。旅行だとか長期休暇だとか、相当先の大きな楽しみを生きがいに必死にウィークデイをやり過ごしていたこれまでを遠泳だとすれば、今はテレビや雑誌などの小さな楽しみを飛び石のようにポンポンと渡っていると、いつの間にか新曲の発売やコンサートといった大きなイベントに行きつくような感じがしています。ジャニヲタになって毎日が楽しいです。

 

あなたが自身のブログ*9で書かれているとおり、あなたの結婚式はジャニヲタならではの趣向が凝らしてあり、ジャニヲタ人生の集大成だったのではないかと思います。ケーキ入刀のタイミングでV6のDarlingが流れた時は、あまりの潔さに友人たちと爆笑してしまいました。ストイックに「好き」を貫いた清々しさと多幸感がありました。

時系列が前後しますが、2015年、V6は20周年イヤーであり、歌番組で彼らを目にする機会が多くありました。時を経て、岡田くんは可愛い後輩の尻を乱獲する屈強な師範になりました。不思議と健くんはビジュアル的に変わりありませんでした。そして私は驚くべきことに気付きます。うたをうたお……飛び乗ろうよハニービー……ほとんど知ってる!歌える!!大学時代、暇さえあればカラオケに通っていました。そしていつの間にかあなたが歌うV6を刷り込まれていたのでした。V6は私にとっても青春の記憶装置だったのです。

病めるときも健やかなるときも、あなたのそばにはジャニーズがいました。一方私はというと、その時々に好きだったサブカル的なものには思い出が刻み込まれているし、継続して好きなものはたくさんあります。今もSuchmosを聞きながらこれを書いていますから、持続可能な程度に、ポップでミーハーなサブカル活動を続けているといえます。しかしあなたほどに長い期間、一定の熱量を保ちながらひとつのグループを追った経験はありません。私はあなたがジャニーズと共に歩んだ半生をとても羨ましく思います。

 

随分と回り道をしましたが、私はあなたと同じジャニヲタになりました。なんの躊躇もなく好きだと公言できるものに出会えました。そして、私がジャニヲタになってコンサート参戦記を書いたことを、あなたは「こんな日がくるなんて、私はなんて幸せな世界に生まれたんだ!」と翻訳文のようにスタイリッシュに喜んでくれました。私はとても良いことをした気になって、チケット代など実質タダだったのではないかと思いました。

あなたと話したいことがたくさんあります。カラオケに行きたいし、鑑賞会もしたいし、人生ゲームもしたい。*10近々、あなたを含む大学の友人たちと久しぶりに旅行に行きますね。ジャニヲタとなった今、沖縄旅行のとき、V6のコンサートが当たっていたらよかったのにと思います。アイドルは年に数回会えるかどうかですが、友達は友達でいる限り、年齢を重ねても、環境が変わっても、どこでだって会えるのですから。

 

10年間友達でいてくれてありがとうございます。これからもよき友であり、ジャニヲタの先輩でいてください。そして願わくばこの先の10年も、あなたの人生がジャニーズの輝きと共にあらんことを祈って、筆を置きます。ありがとうございました。

*1:安田章大さんがトーキョーライブ22時で着ていたJOYRICHのくまTシャツです。

*2:以下、どの趣味も、アーティストも、そのファンも揶揄したり批判したりするつもりがないことをお断りしておきます。これは私と私の自意識の問題なのです。

*3:蛇足ですが、SupernovaはV6の楽曲、赤西仁さん、錦戸亮さん、草なぎ剛さん、タッキーこと滝沢秀明さんを想定しています。

*4:中島敦山月記」より

*5:関ジャニ∞「Black of night」より

*6:Hey!Say!JUMP「Ultra Music Power」より

*7:コロンブスによるアメリカ大陸発見に匹敵するエポックメイキングな出来事だと思っています。

*8:Hey!Say!JUMP伊野尾慧さんと八乙女光さんのユニット曲「今夜貴方を口説きます」より

*9:ジャニオタに優しい結婚式 - ゆめゆめ惑うことばかり。

*10:コマを自作し、自担だらけの人生ゲーム大会を開催された方がいました。

関ジャニ’sエイターテインメント東京・名古屋公演

・前書き

ずっと、ずっと、ブログを書きたいと思っていた。

ジャニヲタのみなさんの異常な文才と愛と知識量で書かれたコンレポや考察ブログに憧れながらも読み専だった私だが、関ジャニ’sエイターテインメント東京・名古屋公演に参加して、この目で見たあまりに眩い光景を記録する必要性に駆られ、キーボードを叩き始めた次第である。

とはいえ、ド新規の初参加であり、さらに音楽もダンスも知識がないため、個人的な思い出の記録や「やばい、しんどい、むり、すき」等の単純な感想である。そう、関ジャニ∞は初めてなの。今まで黙っていてごめんなさい。ツイッターでは知った顔でやいやい騒いでいたくせに、この歳で初めてなんて恥ずかしくて言えなくて。いや、逃げ恥の話ではない。ジャニーズのコンサートの話だ。

以下、東京公演を中心としながら、ぼっち参戦した名古屋では幸運にもバックステージ付近のアリーナ席に入ることができたため、同公演の感想も盛り込みつつ記載したい。

・東京公演、開演前の記録

ここ数年、関ジャニはその年に発表したアルバムをひっさげた五大ドームツアーを冬の定番としていたが、今回の関ジャニ’sエイターテインメントはアルバムなしのツアーである。例年のツアーを出題範囲が推定しやすい定期テストだとするなら、これは完全な実力テスト、いや、新規にとってはさながら駿台模試である。私はツイッターに張り付いて札幌公演のレポをあさり、セトリやコーナー編成を頭に叩き込み、万全の態勢で臨むことにした。

東京公演においては、私の初ジャニコンとなった今秋のHey!Say!JUMPのDEAR横アリ公演同様、宝塚歌劇団を専門としている友人に同行してもらった。彼女はあらゆるオタクたちの約束の地・池袋パセラ本店で私とジャニーズDVDを鑑賞し、セトリのプレイリストを作って聞いてくれるありがたい存在であり、関ジャニでいえば、丸ちゃんこと丸山隆平さんが気になっているとのことであった。

初心者の我々だが、服装については年季の入ったジャニヲタの友人のアドバイスを受け、控えめながら好きなメンバーの色を取り入れた。友人はオレンジのパンツを履き、私はヤスくんこと安田章大さんのメンバーカラーである青色のスカーフを首に巻いた。いい歳して正気か、それにスカーフなど完全に「おしゃれ」ではないかーーもう一人の自分が何度も脳内で囁いたが、これは気後れしないための鎧であると位置づけ、厄介な自意識を屈服させることに成功した。実際会場では随分と控えめな方であった。

さて、友人とグッズ列に並ぶこと数十分、気づいた時には二人とも、たこ焼き棒(ペンライト)とうちわとパンフレットとフォトセットを詰め込んだたこ焼きバッグを手にしていた。JUMPコンでは時間がなく叶わなかったため、ジャニーズのグッズを購入したのは初めてだった。後悔はないが、なにか一線を越えてしまった気がした。同様に友人もソワソワしており、耐えられない、どこかでお酒を飲みたい、と言い出した。

乱れた呼吸と体制を整えるため、我々はファンであふれかえるカフェに入った。おもむろにバッグを開くと、銀髪のヤスくんがこちらを見ている。え、大きい。そう、ジャニーズのうちわは大きいのだ。彼の屈託のない笑顔が直視できなくて、はにかみながら眼をそらした。フォトセットは慎重に開封し確認したのち、あたかも卑猥な印刷物を扱うかのように、素早くカバンの奥底にしまった。うちわや写真ですらこんな有様なのだから、実物を目にしたらどうかしてしまうのではないかと思った。何もかも刺激が強すぎた。

余談だが、この数時間前に私は家族で保育園のバザーに参加しており、双眼鏡をカバンに忍ばせながら、何食わぬ顔でママ友や先生と話をしていた。わが子を抱いていた手は今、たこ焼き棒を握りしめている。日常と地続きだった世界が、今宵、一枚のチケットによって色を変える。時は満ちた。期待と戸惑いと興奮が入り混じる曖昧な笑みを浮かべ、我々はドームの回転扉へと向かった。

・公演の記録ーセトリを中心に

東京ドームの内部は、徐々に高まる興奮と熱気で薄く霞がかったようで、スタンド下段から見下ろす360度円形ステージは、静かにその時を待っていた。

やがて、オープニング映像が始まる。次々と登場する反社会的勢力に扮したメンバーに、あちこちで悲鳴にも似た黄色い声が上がる。こわい、最初からクライマックスだ、完全に仕留めにかかってきている。私がオールバックに銀縁メガネの横山くんに魂を抜かれていた一方、友人は茶髪ゆるパーマにスーツの大倉くんに心を奪われていた。自担だけに気を付けていればいいというわけではない。全員が特A級のアイドルなのだ。早くも許容量を超えるかっこよさを摂取してしまった私は、気を抜けば奇声を発しそうになる唇を固く結び、奥歯をぐっと噛みしめた。まだ本人たちは出ていないというのにだ。

・NOROSHI~浮世踊リビト

映像の世界観そのままに、バックステージ下からヒョウ柄のロングコートに赤スーツの関ジャニが登場し、歌いながら場内を練り歩く。ありきたりだが、彼らが実在の人物であったことに驚く。なお名古屋では亮ちゃんと大倉くんが薄い色つきの丸サングラスをかけており、るろうに剣心により諸々の嗜好(性癖ともいう)を育んだ世代の網膜を焼いた。

「なんどめだ ブリュレ」と評されることのあるブリュレも、私にとっては過去の映像で見たダンスが実際に拝めるのがありがたかった。文句なしにかっこいいのだが、「高速回転寿司」の前触れのとおり、イケメンたちを乗せたセンターステージ外周がありえないスピードで回る様は、つかの間の癒しともいうべき笑いを我々にもたらした。RAGE及び浮世踊リビトではメンバーがトロッコに乗ってアリーナを回る。名古屋で間近に見ることができた横山くんは、完全に白く発光していた。

・パノラマ~T.W.L

メンバーあいさつを経て、ポストイットを彷彿とさせる蛍光衣装とオーバーオールに身を包んだ彼らは、キッズダンサーにも遜色ないキュートさを振りまいて歌い踊った。

全体を通して言えることだが、絶対的に目が足りない。あちこちで可愛いやかっこいいの小規模爆発が起こる。双眼鏡でひとりを追っていると、スクリーンに抜かれたメンバーのキメ顔に歓声が上がる。さらに手も足りない。たこ焼き棒を振りたい、うちわも構えたい、双眼鏡も覗きたい。手練れのジャニヲタの方は数枚のうちわを使い分け、自担が出てくる位置に暗転中から双眼鏡を構えていたりした。

さらに「なぜジャニヲタは同じコンサートを何公演も見たがるのか」という問いは、愚問以外のなにものでもないことが身に染みてわかった。なんなら同じ公演だって何回も見たい。

 ・エイトレンジャーコント

エイトレンジャーによるオープニング映像のセルフパロディはまさにお家芸で、モモコからのリンゴというハイヒール天丼は、一部のファンの頭上に「?」を浮かばせながらも、主に西にルーツを持つ人々の爆笑を誘っていた。イリュージョン及びコントにおいては、多ステ勢を飽きさせないすばるくんのアドリブの技、もとい、回を追うごとにエスカレートする下ネタが光っていたと思う。

・王様クリニック~なぐりガキBEAT

夜ふかしでいじられがちなKINGだが、久保田利伸提供のR&Bナンバー・王様クリニックにおいて、紫に染まるペンライトの海を余裕の表情で煽る村上くんはギラギラと輝いており、彼がまごうことなきトップアイドルであることを再認識させられた。脚が長く、身のこなしが軽やかで、鼻濁音が色っぽかった。

続く丸ちゃんとヤスくんのユニット曲The Lightは多幸感あふれる伸びやかなハーモニーとザ・ジャニーズ的な爽やかダンスで魅せ、もう少し尺が長ければ天に召されてしまうところであった。衣装の背中に羽が描かれていたのは、二人が天界の使者であることを表していたのかもしれない。さらに名古屋では、丸ちゃんの耳かけパーマ(エゴサの賜物)から色気がだだもれていたことを付記しておきたい。

罪と夏、がむしゃら行進曲、イッツマイソウルと強いシングルを畳みかける流れでは、十二月の全てを捧げて踊り狂った。横山くんのトランペットソロから始まる新曲のなぐりガキBEATでは、固唾を飲んで見守る他メンとはにかみながらも得意げな横山くんの図が微笑ましく、スカサウンドに乗せた可愛くゆるいダンスとぐうの音も出ない完璧な歌割りでおたくを魅了した。

・MC

東京で印象的だったのは、普段競馬をしないのに去年の有馬記念で競争馬の顔写真(丸ちゃん曰く「馬のアー写」)を見て選び万馬券を当てたヤスくんに対し、「(有馬記念じゃなくて)安田記念ですよ」とかぶせてきたすばるくんは、たまに競馬をするのに唯一当たったことのある馬券が元本割れして千円損したというくだり。名古屋では前日のMステスペシャルで他のアーティストや事務所の先輩後輩と話したと盛り上がる中、「ぼくは関ジャニだけです、友達としか話してません」と静かに言ってのけたすばるくんがたまらなかった。

私が関ジャニを知って驚いたことのひとつに、パブリックイメージでは決してバラエティ班でないすばるくんが、つっこみも小噺もヤジもぼそりとつぶやくひと言も、間の取り方や言葉の選び方が絶妙ですべりしらずだという事実がある。おまけにモノマネも上手いし、下ネタも十八番だし、画伯でもある。初老だって彼の手札のひとつにすぎない。つよい。髪型も爆イケだし顔もかっこいい。当然歌も上手い。つらい。

・アコースティック~言ったじゃないスカ

日替わりローテで曲が披露されるアコースティックでは、期待が高まる中、丸ちゃんの歌いだしでI to Uだと判明した途端の歓声が圧巻だった。ファン人気の高いカップリングの名曲でありながら、私はFIGHTコンのDVDで見た程度で聞き込みが足りなかったことを悔やんだが、七人の温かい演奏とまっすぐな歌声が胸に沁みた。シンプルに歌がうめぇ(千鳥)のである。

言ったじゃないスカは、モニターに抜かれるたびに可愛い表情で決めた挙句、極めつけのウインクでおたくを絶叫させた名古屋のヤスくんに尽きる。オスもショタも自由自在に行き来する彼のパフォーマンスはこちらが照れてしまうほどで、アイドルの中でも心臓の毛ボーボー(©錦戸亮)な安田章大さんでないとできない所業だと思った(褒めています)。

・再びのMC~前向きスクリーム!

映画『破門』について「佐々木蔵之介さんと二宮(横山くんの役名)が……」と話し始めた横山くんに対し、「いや佐々木蔵之介さんと二宮ってなんなん!横山くんはなんなん!」と五万人のモヤりを代弁してつっこんでいた亮ちゃんが安心と信頼の錦戸亮であった。すばるくんによる乳首ビンビンの話も安定感があった。各会場でのMCダイジェストが初回盤DVD特典につくことを当たり前のように受け入れているが、そんなアイドルはごく少数ではないかとふと思った。

横山くんとすばるくんのユニット曲ハダカは、とにかく「乳首出てる」だった。心揺さぶる歌・演奏と変態的な衣装とギャップがすさまじい。特にバッキバキの身体を惜しげもなく晒す横山くんはあきらかにR-指定*1だった。理性と欲望がせめぎ合い、脳内でフリースタイルダンジョンが繰り広げられる。鍛え上げた身体!白いこの肌!From此花*2……理性は欲望のバイブスにあっけなく屈し、私は双眼鏡を構えミスターポポ*3の顔で凝視した。

続くSteal your loveでは、セクシーに歌い踊る亮ちゃんと大倉くんの大正義イケメンに酔いしれ、息つく暇もなく安田総合Pによるハードなダンス曲Black of nightに魅せられる。グループを俯瞰で見て、レーダーチャートの一角を伸ばすように、いま自分たちに必要な曲をプロデュースできる才能。ヤスくん、関ジャニを躍らせてくれてありがとう、かっこいい関ジャニをみせてくれてありがとう。

一転して、キングオブ男・前向きでは「祭り・賑やかしは俺たちに任せろ!」*4とでもいうべき盛り上がりを見せた。いずれも定番曲だが、楽しいものは楽しい。関ジャニのお祭り曲の層の厚さを感じた。

・セッション映像~NOROSHI

会場ごとにご当地ソング等をセッションする七人の映像が流れる。東京でのLOVE YOU ONLY/TOKIOでは、よく訓練されたジャニヲタの合いの手に感心した。名古屋は時期柄、クリスマス・イヴ/山下達郎だった。メインボーカルを務めた丸ちゃんのモノマネ(めちゃくちゃ上手い)に笑いながら演奏する彼らの様子は平和を体現したようで、ジョンの目指した理想がそこにあった。

そして、なんといってもTokyoholicについて語らなければならない。同曲はNOROSHI初回限定版AのDVDに、亮ちゃん主導のインスト曲としてセッション風景が収録されており、コンサートでTokyoをヘイトしたりできなかったりする内容の歌詞付きverが披露されたものである。クレジットされていないものの、村上くんのパートだけ英語詞をカタカナ表記(everyday→エビデイ)していることからして、明らかに作詞者は亮ちゃんだった。彼の作る曲は、多様ながらどれも遊び心がありおしゃれでクールで個性が強く、「私が作りました(満面の笑み)」とラベルが貼られているように思う。対してヤスくんは、タッグを組む作詞者や求められるものに応じて時に個性を消し、職業作家的に楽曲を作る人だと思っている。そんな技術と才能を持った二人が同い年で同じグループにいる奇跡。尊い。

閑話休題。疾走感のあるメロディに乗せた関西弁のロック。彼らの熱気と気概に圧倒され、高揚感に包まれた観客はライブハウスのように拳(といいつつたこ焼き棒なのだが)を突き上げる。つかの間、これがアイドルのコンサートであることを忘れた。「そんな上から見んなこっちも必死なんじゃ」とがなるように歌う亮ちゃんを見て、「NOROSHIのジャケットデザインはスーッとするガムみたい」とぼやいていた私は心の中で土下座した。

コンサートはいよいよ本当のクライマックスを迎える。しかしこの段階においてはかっこよさに滅多打ちにされて記憶がおぼろげであり、象に関しては「オスの安田章大さん」、NOROSHIに関しては「すばるくんのウインク」とうわごとのようにつぶやくことしかできない。NOROSHIに始まりNOROSHIに終わる。まるで格言のようだが、とにかくこの冬は至る所でNOROSHIがぶちあがっていたのである。

・アンコール ズッコケ男道~オモイダマ

とにもかくにもパーカーを着た大倉くんのクズのヒモ感である。先日、「ヒモにしたいジャニーズで打線を組んだ」というブログ記事を拝読し、首がもげるほどうなずいたが、パーカー姿に揺れるピアスの大倉くんはヒモ球界屈指の強肩スラッガーであった。夏頃までの「往年のジェームス・ディーンヘア~新鮮な三陸産のわかめを添えて~」のような髪型は何だったのかと思うくらい、茶色のふわふわパーマはその端正な顔をいっそう魅力的に見せていた。

休日の早朝から「今日新台入んねん」と言われてモヤモヤしながらもスッと三万円を渡したい。疲れ果てた仕事終わりに食材を買ったところで「もう出前館頼んだからメシいらん」というLINEを読んで脱力したい(もちろん私の分の出前はない)。それでもYogiboソファに埋もれて幸せそうに寝る大倉くんを見て「かっこいい……悔しいけどやっぱ好き……」と惚れ直したい。そんな夢小説的な妄想*5をかきたてられた。

アンコールではメンバーが気球に乗り、スタンド席や天井席のファンにも近づいてお手振りのサービスをしてくれる。曲は私ですら(DVDで)既視感のあるラインナップだったが、横山くんがヤスくんとキャッキャしながら楽しそうにしている様が見れて心が満たされた。名古屋ではメンバーカラーのサンタ衣装で登場し、村上くんとヤスくんが律儀にサンタ帽子のあごのゴムをしていることに気付いて萌え転げた。また、丸担の方々が花道を通る丸ちゃんのファンサに被弾して感激のあまり次々と崩れ落ちる様を目の当たりにして、「アイドル=キリスト教の聖人」という自説に確信を持った。最後はオモイダマで軽めに締めて終了。名古屋では前日のMステスペシャルを受けて亮ちゃんが観客にXジャンプを促し、ヤスくんが原曲キーで紅を歌った。ハケ際までサービスと笑いの行き届いたコンサートであった。

 

・公演後の記録と総括

致死量のNOROSHIを吸引した私と友人は語彙力を失い、「よかった」「ちくび」「のろし」等のシンプルな単語をつぶやきながら、夢遊病者のように駅への道のりを歩いた。友人は「オープニングムービーの大倉くんがかっこよかった」と二回こぼし、さらにツイッターでも「あのビジュアルの破壊力で飯十杯くらいいけそう」とつぶやいていたので、よほどの衝撃だったと思われる。私は歯を食いしばっていたせいで、あごが硬めのスルメを食べた後のように疲れていた。好きとかっこいいが飽和するとあごが疲れるのだと知った。そして夫と子ども(就寝済)が待つ自宅へと帰り、ヤスくんのうちわをそっと押入れにしまった。襖を開けばヤスくんが微笑んでいる。偶像崇拝の許されている世界に生きていてよかった。明日から色々と頑張ろうと思った。趣味と生活は車の両輪なのである。

 

さて、感じたことを私なりに総括したい。いきなり他アーティストを引き合いに出すが、たとえばくるりのライブ会場では、メガネ率とマッシュボブ率とボーダーT率が日本の平均を著しく超えていると思う。対して、ジャニーズはファンの母数が多い上、年代や性質も多岐にわたる。当然、望むものも様々だ。ダンスとバンド、アリーナと天井席、イチゲンさんと多ステ勢、ファンサとパフォーマンス、わちゃわちゃとクール、前髪ありと前髪なし。対照的なあらゆる要望を満たすのは至難の業であると思う。だが、最大公約数的な満足を提供しながら、有象無象の意見を飛び越えた圧巻のパフォーマンスがNOROSHIであり、Black of nightであり、Tokyoholicであり、関ジャニ’sエイターテインメント総体であったと思う。

新たなファンを獲得しながら既存のファンに進化した魅力をみせ、武器を増やし、技術を磨き、基盤も固めるなど、もはやローマ五賢帝並みの偉業だろう。だが幸いにして、我々は彼らと同時代人である。私は彼らが群雄割拠のアイドル界*6を駆け回り、あらゆるファンを丸ごと引き連れて新たな道を切り開き、最大版図を描く様をこの目で見たいと思った。反撃の狼煙の後には新しい風が吹いている。もう、瞬きをする間もない気がする。


・終わりにー露骨な販促

なぐりガキBEATは1/25発売、通常版にはTokyoholicを収録。

NOROSHIも絶賛発売中であり、初回AにはMVと稀代のシャブ曲・ふわふわポムポムを収録。初回BにはBlack of nightと同MVも収録されている。もし気になった方がいればぜひ手に取っていただきたい。

*1:ラッパーの方のお名前にかけたギャグです。

*2:横山くんは大阪市此花区の出身です。

*3:関ジャニクロニクルにおけるすばるくんの持ちネタです。

*4:美容外科の広告とかけたギャグです。

*5:あくまで私の勝手な妄想で、実際の大倉くんは貴族です。

*6:他のアイドルとパイを奪い合うことを推奨する意図ではありません、念のため。