切り取ってよ、一瞬の光を

エンターテイメントの話

右肩上がりのトリックスター/「担当」をめぐるあれこれの着地点

前回の記事で、ブログを書くこだわりについて散々語った挙句「担降りブログは文学だと思う」とまで言って、ハードルをぶち上げたそばからこういうことを書くのはとても気恥ずかしいのですが、自分の中で整理がついたので書き記しておきたいと思います。

 

 

独りよがりは承知

私の「担当」について、これまでのあらすじは次のとおりです。

・安田担のはずだったのに横山くんのかっこよさがしんどい
・なぜ私はこんなにミーハーなのか?担当とは何か?と地獄の業火に焼かれる
・趣味だしそんな悩む必要なくない?関ジャニ∞のファンってことでいいや

以降、私は特に「○○担」を名乗らず、ゆるい箱推しとしてファン活動をしてきました。また、私は関ジャニ∞全員と愉快なジャニオタが好きなので、ツイッターでフォローしたりブログを読んだりするときに、書き手が誰の担当かをあまり重視していません。私が誰担を名乗るか、名乗らないかは些末な話で、他の人にとっては知らんがな案件だと思います。


ですが、歌番組では誰を目で追っているか、関ジャムで誰の出欠に一喜一憂しているか、ジャニーズショップで誰の写真を多く買ったのか、そういうことがもう明らかになってしまって、私、横山くんのことがだいぶ好きだ……と自覚した結果、これはもうアレだ、担当……では?と思うようになりました。

 

(自意識過剰女なのでここまで書いてやっぱり猛烈に恥ずかしいです。勝手に名乗ったらえんちゃうの?わざわざこんなん書く必要ある?と脳内の大倉くんが笑顔でマジレスしてきます。)


楽しんだモン勝ちに決まってんだ

担当を名乗るにあたって、「担当」のあり方について考えてみました。
仮に男女交際にたとえると、複数人と並行して交際していたり、短期間で相手がコロコロ変わったりするよりは、ひとりの相手と一途にお付き合いしている方が、倫理的に正しく思えます。私も、安田くんを好きになったのすらここ数年なのに、フラフラ目移りしてしまうことに罪悪感を覚えました。


でも、アイドルの応援スタンスは男女交際のそれではなくて、スペシャリストとジェネラリストの違いではないかと思います。誰かひとりの変化を見守りながら長く応援している人も、たくさんの人をフットワーク軽く追いかける人も、どちらも立派なファンだと思います。あるいは、担当がいるのか箱推しかについては、グループという物語を、ひとりを主人公として読み進めるのか、複数の登場人物の視点から楽しむかの違いだといえるかもしれません。

 

また、担当を名乗るために「我が身朽ちようとも応援し続ける」という覚悟が求められるわけでないと思います。何かを始めてから、深めるうちに他のものに惹きつけられることもあります。ジャニーズの映像や文章は、ファンの妄想を軽々と超えるようなエピソードがザクザク見つかる宝の山です。さらに、アイドルもファンも生きている人間で、随時変化していきます。何かのきっかけで、突如射貫かれるように、思わぬ人に落ちてしまうこともあると思います。

 

担当は自己申告制で、名乗るための試験はないし、実績や入会金も必要ありません。ファンとして、「好き」の種類や、歴史や、温度に差はあれど、優劣はないと思っています。誰かと比べて劣等感や義務感を抱いたり遠慮したりする必要はなくて、自分なりの「好き」で楽しく応援できたらそれでいいのではないでしょうか。シンプル!シンプル!

 

言い訳と弱音をやめたら

先日友人に、横山くんのどういうところが好きなのかと問われた時に、沈黙ののち絞り出したのが「……色が白くて肌がきれい」で、自分でもズコーっとなってしまったので、改めて考えてみました。

 

社会人としてある程度仕事をしていると、良くも悪くも自分の色がついて、さほど努力しなくても、その範疇でのらりくらりやっていけるものだと思います。チームで仕事をしているのだから、苦手な部分は得意な人に任せて、自分は得意な分野だけやるというやり方もあると思います。
特に何年も同じメンバーでやってきて、一定の成功を収めていて、現状の自分の良さを認めてくれる人がいれば、特に努力する必要を感じないかもしれません。素質、年齢、環境など、できない・やらないことを正当化するための材料はたくさんあります。

 

でも、三十歳を過ぎてから、音楽に真摯に向き合って、努力して、成果を出している横山くんの姿を見ると、可能性とか、希望とか、遠い日に忘れてきてしまったようなピカピカした眩しい言葉が浮かんできます。
もういい大人だし、限界はこんなもんだし、今後はゆるく下降線をたどるのみだと思っていた自分も、まだまだ努力次第でどうにかなるように思えて、活力が湧いてきます。年齢を重ねることへのネガティブな思いがなくなって、先に続く道に光明がさしているような気がしてくるのです。

 

横山くんを見習って、苦手意識のあった仕事関連の勉強を始めてみたり、きちんと保湿や美白をしてみたり、エビをしっかり洗ってエビフライを作ってみたりと、ポジティブな変化が自分に起きています。頑張る姿を見て、自分も頑張ろうと思えることが、誰かを応援する醍醐味だと思います。

 

まとめると、努力の可能性を体現している大人で、尊敬できるから好き、といえるかもしれません*1


そーゆーとこツボなのさ

「ナントカ出の横山担」と言ってみたかった気持ちはありますが、決定的なきっかけというのは思いつきません。テレビや雑誌などのひとつひとつがボディーブローのように効いてきた結果、こうなったような気がします。

 

意外にも煽情的な表情で腰を振っていた関ジャムでの「JAM LADY」、眇めるようなウィンクを披露した少年倶楽部プレミアムの「DO NA I」、PV撮影の空き時間に木琴を練習していた「応答セヨ」のメイキング、ベストヒット歌謡祭の提供バックでパァっと笑った「今」のラスト、FNS歌謡祭「また逢う日まで」でトランペットを吹く時の張り詰めた空気と演奏終わりのほっとした表情……
グッときたところを書きだしたらキリがありません。英語の空耳がドツボにハマって笑い転げる赤ちゃんのような無邪気さも、新郎のような純白の衣装で村上くんの振りをカンニングしながら踊っているのも、なんかすごくいい……と思います。

 

きっと右肩上がり

少し前までは、担当について「もし、箱推し取り締まり警察*2が来て、うちわは一枚しか持てへんぞ!誰かひとり選べ!と詰め寄られたら、小声で『よ、横山くん……』と答えるくらい」の自信のなさだったのですが、今は面倒な葛藤がなくなって、冬の晴れた早朝にすっきりと目覚められたような気分で、答えることができる気がします。

 

横山くんにたくさんのファンがいるのは言うまでもありませんし、私ひとりが「横山担だ!」と表明したところで、何かが変わるわけではないと思います。また、「メンバー同士が誰を弟にしたいと思っているか」という話で、一日中そわそわワクワクするくらい関ジャニ∞が好きなので、グループのファンであることにも変わりありません。

 

それでも、今は、会場を埋める客のひとりとしてうちわを掲げ*3、もしくはインターネットの片隅で、下手なジョークと甘い言葉をしたためながら、応援していますよー、と表明したい気持ちです。かっこよさがどんどん増していく右肩上がりの様子を、いずれテッペン超えれる彼がきらめく瞬間を、見逃さずに追っていたいのです。

*1:なお、顔も好きです。

*2:なお、箱推し取り締まり警察などはいません。

*3:なお、2017年12月現在、関ジャニ∞の現場の予定はありません。