切り取ってよ、一瞬の光を

エンターテイメントの話

より良く生きるためのSexy Zoneと風磨くんへのアンビバレンツ

初めてSexy Zoneのコンサートに行ったらすごくよかった。生で見た菊池風磨くんがすごくよかった。Sexy Zoneが創る新しい時代、すごくよいのでは?

以下、コンサートのネタバレをしています。発言はほぼニュアンスです。

 

 

2018年の冬のはじまりに、ミュージックステーションSexy Zoneが披露したすっぴんKISSとカラクリだらけのテンダネス。特にテンダネスはジャニオタの心に刺さる良さがあって、関ジャニのファンである私は羨ましいと思いながら立て続けに3回見た。次の日も見た。気がつくと毎日見ていた。以前「ぎゅっと」が聞きたくて買ったままのアルバムrepainting初回限定盤Bを押入れの奥から引っ張り出した。レコーダーを探すと、Sexy Zoneモーニング娘。‘17とコラボしたLOVEマシーンの映像が残っていた。

私はジャニオタとして正しい判断をしていた。それらは啓示だった。Sexy Zoneへの過去の断片的な興味と好意が組み合わさって、色付きの立体になる感覚。そしてエグい初速でSexy Zoneにハマってしまった。

 

菊池風磨さんを信じていいのか問題

私が本格的に興味を持つ直前だったが、松島聡くんが療養するというニュースは知っていたし、その判断に至るまでの彼の状況やメンバーやファンのことを思って胸が痛んだ。ジャニオタなのでケンティこと中島健人くんのことは当然好きだったし、グループに対しても「お顔が良くて真面目ないい子たち」という漠然とした好感を抱いていた。その中で少し風磨くんは浮いているようにみえた。

数年前カラフルEyesをテレビで披露している頃、チャラい長髪だったのにいつの間にかハイトーンのショートヘアになっていて、そっちの方が似合うな更生したのかな、と思ったことを覚えている。それでもクラスの目立つヤンチャな男子の気配がして好きにはならないタイプだと思っていたはずが、セクシー達の映像などを見ているとだんだん、風磨くんいいな、賢いし羽二重餅みたいで可愛いな、と思い始めた。しかしそれと同時に、「そういうとこだぞ」という相反する感情も抱いていた。列挙すると多くなるので図にしてみた。

 

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私はアイドルに恋愛要素を求めたり、性的な目で見たりしたくないと思っている。だからシャツをめくって腹や乳首を見せるのはヤメテ!みだりに腰を振らないで!と思ってしまうし、STAGEコンのベッドシーンなんてこわくて1回しか見ることができていない。
大人の恋愛っぽいソロ曲が多いのに「自分で曲を作る時は実体験に基づいて書く」と言っているのも「やってんなァ~菊池」くらいに思いたいが、執着してしまったら受け取り方が変わってしまうかもしれない。形容しがたい感情で苦しんでのたうちまわりたくない。破滅だ。オム・ファタール。

 

そして、風磨くんは自分に似合うものがわかっていて、やりたいことが明確で、それを実現するアイデアとスキルとセンスのある人だから、彼が異端児のようにみえるSexy Zoneでではなく、ひとりで、あるいは別の仲間とパフォーマンスするようになってしまうのではないかという不安がちらついていた。

ラジオでは「Sexy Zoneには品のあるかっこよさが似合う」と語り、雑誌での「Sexy Zoneで青春したい」という発言など、その不安への反証はたくさんあったし、彼が主に構成や演出を担当したコンサートであるSTAGEもrepaintingも、グループと個々のメンバーの魅力が引き出された素晴らしいコンサートだった。それなのに、もうこれは過敏になってしまった私の穿った見方のせいなのだが、どうしてもその不安がぬぐえなかった。

アイドルにはやりたいことをやってほしいし、誰の気持ちがいつどう変わるかなど本当にわからない。「信頼」という重い言葉を一方的にアイドルに求めるのは横暴だと思う。私が勝手にそんな不安を抱えて応援することは、本人にも他のファンにも失礼だと思ってモヤモヤと葛藤していた。

 

菊池風磨さんを信じていいのか。

私はSexy Zoneなら風磨くんが好きと言いつつも、バチバチに紫色の服を身にまとっているにもかかわらず*1、生で見たらやっぱりケンティすごい!すき!となるかもしれないし……と、いつでも踵を返せるように、後ろに引いた片足にいくらか体重を乗せた状態でコンサートに参加した。

ちなみにジャニオタになって初めて作ったうちわも持参した。うちわ作成のきっかけは、友達*2が紫色を基調としたうちわを作ったときの材料のあまりを譲り受け、それがちょうど風磨くんのメンバーカラーと一緒だったためだ。たまたま紫の画用紙が余っていただけなんだからね……と思いながら東急ハンズで足りない材料を買い込み、3時間かけてうちわを作った。

 

PAGESコンサートのこと

結果、生で見た風磨くんはとてもよかった。白くてツヤツヤしていて、赤い髪とピンクの衣装がよく似合っていた。歌もしゃべりも安定感があって上手かったし、ステージを縦横無尽に走り回りにこやかに手を振って、全力でパフォーマンスしていた。自信と余裕にあふれていて、腰を振ったり腹を見せたりしなくてもセクシーで、色気がにじみ出ていた。実際、風磨くんは腰を振って腹を見せていたが、私は「ア~そういうとこ!」と思いながらもまんまと歓声を上げた。椅子のときも叫びながら凝視した。あんなに恋愛目線で見たくないと思っていたのに、ソロの映像では風磨くんと横浜でデートした記憶が脳に植え付けられてしまった。すごくよかった。

一緒に入った方が風磨くんのファンで、ネットでもリアルでも初対面だったにもかかわらず、風磨くんが何かやばいことをするたびに、私は彼女に「やばいです」と訴えてしまった。

特にハッとしたのが「make me bright」のダンスで、余裕があって気だるいのに止めがきれいで、アーバンでチルいこの曲にマッチしていた。音に乗る感じがMummy-Dみたいでかっこいい(私はヒップホップ的なものの中でMummy-Dが一番かっこいいと思っている)と思った。私は結局、この日のために購入した防振双眼鏡を構え、ほとんどずっと風磨くんを追っていた。

 

セクシー達はみな可愛くてかっこよくて一生懸命だった。ケンティは一瞬の隙もなくずっとケンティで、脚がとんでもなく長かった。コンサートのためにワックスで一時的に染めていた銀髪の襟足から汗がしたたり落ちる瞬間を肉眼で見て、あまりの美しさに私は鍾乳洞をつくる悠久の年月のことを思った。MCで「菊池はどう?」とさりげなく訊いたその言葉の響きが良すぎた。ふまけんすごかった。

勝利くんは顔の大きさがおにぎりくらいしかなく、今まで見た人間の中で一番整ったお顔をしており、センターに立つ者の気高さがあった。風磨くんとケンティがシャツをはだけまくるエッチな曲において、勝利くんはシャツの腕まくりをしていて、コンプライアンス遵守アイドルでとてもよかった。あいさつでは「一番上からの景色を見せる」と語っていて、美しい容姿に秘められた熱い闘志が眩しかった。

マリウスくんは美術館から意思を持って抜け出してきた彫刻のようで気品に満ちており、それでいて優しく可憐な笑顔を振りまいていた。ソロ曲では様々なマリウスくんがたくさん出てきて文字通り目が足りなかった。MCではトークの受け流しやボケが絶妙で、さらに柔らかくもド正論なツッコミでアリーナを揺らす爆笑をさらっていた。

 

コンサート全体もとてもよかった。PAGESは大人っぽくておしゃれなアルバムだという感想を持っていて、それと雑誌で彼らが語っていた「去年一昨年は魅せるライブだったが、今年はより一体感のあるものにしたい」というテーマがどう組み合わさるのか、想像がつかなかった。

しかし蓋を開けてみると、大人っぽさとおしゃれさのある曲はその魅力がより増すような演出で披露されたし、アルバムで異彩を放つパンチの効いた曲は要所に据えられていて盛り上がりのフックになっていた。それでいて聴かせるところは引き込んで聴かせる演出で、メリハリが効いているのにストーリー性があって、「人生のページ」というコンセプトが一貫していた。映像や特効や舞台装置の使い方が上手で、気が緩む瞬間が全くなかった。

そして観客の声援を受けたセクシー達が本当に嬉しそうで、さらに輝きを放ってそれに応えてくれて、ファンもコンサートの一部になったような空間だった。ケンティの「Say令和!」\令和!/というC&Rも盛り上がったし、ステージ上で大縄跳びをする場面でセクシー達が飛ぶ回数を大声で数えているとき、体育祭のような一体感を感じた。勝利くんが「みんなの歓声がすごくて、4日目だけど疲れを感じない」と言ってニコニコしているのを見て、こちらも嬉しくなった。ステージを駆け回り、疲れた様子も見せず全力で歌い踊る彼らのことが、ますます大好きになってしまった。

 

寂しさの受け止め方について

コンサート本編最後の曲である「CRY」では、せり上がったセンターステージ中央に空いた穴に、星の形をした紙吹雪がキラキラと降り注いでいた。4人は四辺に立ち中央を向いて、観客の視線を背に受けながらそれを見つめていた。降り注ぐ星は彼らの涙のようで、美しく静謐な時間だった。そして曲の終わりと共に、吸い込まれるようにふっと穴に飛び降りた。ファンの涙と寂しさを引き受けて消えたようだった。

やがてモニターにリハーサル風景が流れ、最後の最後に、直接的に聡ちゃんを表すアニメーションが映し出された。胸がぎゅうぎゅうに締め付けられる、大きな大きな愛だった。

誤解を恐れずに言うなら、PAGESコンサートはとてもプロフェッショナルなコンサートで、哀愁の加減が私にとってはちょうどよかった。私が入った回で彼らは聡ちゃんの不在に言及しなかったが、5人で歌う曲という印象の強いカラフルEyesがセトリになかったことや、メンバーが聡ちゃんのメンカラである緑の衣装を着ていたなど、端々に聡ちゃんとそのファンへの愛がうかがえた。いたずらに「エモい」で消費することなく、優しさをもって配慮しつつも最大限に楽しませようとするスタンスを彼らは選んだのだなと思ったし、それが絶妙でセクシー達にとてもよく似合っていた。本当に、濃密できらびやかで優しくてあたたかいコンサートだった。

 

聡ちゃんが休養に入ったあと、紅白の直前インタビューで風磨くんは「寂しさを感じさせないステージにしたい」と言っていた。コンサートについては、「より近くに」というテーマで、「みんなの心に寄り添えるライブにしたい」と語っていた。彼らは一貫してファンが寂しくないように考えて考えて趣向を凝らして真心をこめてステージを作っていた。

横浜アリーナの最終公演に入った方によれば、風磨くんは最後のあいさつで「寂しさを感じさせないようにいつも以上に走り回ったりしたけど、寂しくなくなることがいちばん寂しい」という趣旨のことを言ったらしい。

ああ、そこまでファンのことがわかっている人なのかと思った。光が強ければ強いほど、寂しさの影が濃くなってしまう。コンサートの完成度が高ければ高いほど、満足感と同時に後ろめたさのような気持ちが生まれてきてしまうことを、他ならぬ彼らが感じていたのだろうけど、風磨くんはその感情さえも肯定した。

 

PAGESコンサートをつくった菊池風磨さん、めちゃくちゃ信頼できるな、と思った。生の風磨くんはとてもアイドルで、説得力があり、Sexy Zoneで輝いていた。勝手におびえたり不安を抱いたりして申し訳なかったと心から思った。

前述の風磨くんのファンの方が「風磨くんは本当にアイドル。魅せるのが上手で、ファンが喜ぶことや悲しむことをよく理解していて、いつだってまずグループのことを考えているように見える」と言っていた。本当にそのとおりだった。

 

PAGESを聴きSexy Zoneを見て自己肯定感を育てよう

PAGESはよく出来た夢のような、幸せになれるコンサートだった。一緒に入った人たちと「Sexy Zoneを見て育ちたかった。今の若い子たちが本当に羨ましい。思春期にSexy Zoneを好きでいたら、ずっと生きやすかったしもっとまっすぐな人間になっていたと思う。セクシーは教育に良い」という話をした。

この大コンプライアンス時代にあって、大勢の前に立つ人は歌や踊りやしゃべりや演技だけではなく、他者理解や配慮や正しい立ち居振る舞いが求められる。感性の古さや失言は命取りになりかねない。しかしSexy Zoneは聡く優しく、軽やかにナチュラルにそれをやってのけるようにみえる。Sexy Zoneから道徳を学び、大きな愛をもらいたかった。家族の愛情に包まれてすくすくと育ってきたセクシーたちを見て、自己肯定感を育みたかった。

そんなことを思うと同時に「私もより良く生きたい」という意志が湧いてきた。大人になった今からでも、自分に自信を持ってより良く生きるのに遅すぎるということはないのではないか。

 

私は自己肯定感が低く生きにくい思いをしてきた。今もすぐにクヨクヨ悩んで落ち込む。自分の子どもは自己肯定感をきちんと育ててあげたいと思っているが、些細なことで腹を立ててしまう。そんな怒りっぽい自分が嫌になり、もうロボトミー手術しかないと何度も思いつめた。我慢や努力もせず解決法を外に求めてしまう自分の安直さにも嫌気がさしていた。

コンサートで風磨くんは「つらいとき今日この日のことを思い出してもらえれば、そんな1ページになれば」と言い、勝利くんは「時代を創っていく」と言った。コンサートが非日常であるとか、新しい元号の時代で売れるとか、シンプルな意味はもちろんあったと思うが、もっとアルバムPAGESとSexy Zoneという存在の本質を突いたような発言のように感じる。あらためてアルバムを聴いて歌詞を読んで、「喜怒哀楽を収めた人生のアルバム」というアルバムとコンサートのコンセプトが心身に染み渡るように理解できた。

たとえば「恋がはじまるよーー!!!」の「自分100パーいいと思う ンな人メッタにいないでしょう?」からの「人生はパレード自分が主人公 いつでもスポットライト浴びなくちゃ 意味が無い!!!」なんて座右の銘にしたくなる名文だし、「ゼンゼンカンケイナイ」の「他人と比べては傷ついて 他人の目を気にしてまた同調 コンプレックスは最大の個性 自信なんて誰もない」を聴くと力が湧いてくる。

そしてCRYの歌詞。音源を聞いているときやコンサートでは「なんか風磨くんがグア~ッと歌う英語のところいいなァ」くらいに思っていた部分には、「Go Love yourself」と書いてあった。それに気づいた瞬間、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。私にとってはそれが救いであり、福音だった。Sexy Zoneはぐちゃぐちゃな思いで生きてきた大人の私を受け止めてくれたような気がした。キラキラして優しくて思慮深い年下の男の子たちの存在が頼もしくてありがたくて、私は夜中にひとりではらはらと泣いた。

 

よりよく生きようとする意志は行動と考え方を変える。ひとつひとつできたことを認めれば、自分を認めることができる。しかしその意志は時として理想と現実のギャップに苦しむ原因にもなりうる。それでも、Sexy ZoneとPAGESは優しく受け止めて、つらい時は泣くことを許して慰め、腹立たしい時は一緒に怒ってくれる。うまくいかなくたって仕方ないと思わせてくれるし、そんなときは立ち止まって休むのもいいし、一緒に前に進む力をくれる。

アルバムとコンサートのラストを飾る曲「いつまでもいつまでも」で、Sexy Zoneは「まだキミが知らない自由や愛がある だから ここへおいで涙ふいて 僕がキミの想い連れていくから」と歌う。なんという、BIG LOVE……

 

そう遠くない将来、Sexy Zoneの大きな愛が波及し、あらゆる壁を越えて全人類がメロメロになって、ひとりひとりが正しく自分を愛し、他者に優しく、より良く生きようとする意志が湧いてくるようになるのではないか。Sexy Zoneが創る新しい時代、生きやすいに決まっている。そもそもSexy Zoneを好きになったという事実をもって自己は大いに肯定されるべきだ。私もロボトミー手術で脳をいじらなくて済んだ。なぜなら代わりに風磨くんと横浜でデートした記憶が植え付けられてしまったから。

 

長年Sexy Zoneを応援している友人は、コンサート後に「ぜひ完全体のSexy Zoneも見てほしい」と言っていた。ピュアで天然なのにステージではバキバキに踊り色気を放つ聡ちゃんが見たい。一緒にいるところが見たい。PAGESも強かったのに、5人揃った完全体のSexy Zone、どんだけ強いんだよ!と圧倒されたい。楽しみだ。だからゆっくり休んでほしい。

 

菊池風磨のオンナ」というワード

2017年末の紅白で「ぎゅっと」を歌ったあと、風磨くんがさいごに「優しい一年にしましょう」と言ったのが印象に残っている。幸せな一年でも、楽しい一年でも、あたたかい一年でもなく、優しい一年。その言葉選びが好きだなと思う。

風磨くんはブログで、PAGESコンサート横アリ公演について、最高だったと前置きしたうえで、自分に課題があるとして「もっともっと追い込んでいく。まだまだこれから見せつけていこうよ」と語っていた。風磨くんには何が見えているのか。その知性と優しさと瑞々しい感性で、これからSexy Zoneで何を見せてくれるのか、とてもワクワクする。

 

横アリの私的2日目に一緒に入った友達に「菊池風磨のオンナになったの?」と訊かれて、あまりのワードの強さ*3におののいて反射的に「違う!」と否定したら、「菊池風磨のオンナはみんなそう言うんだよ」と言われてこわかった。そんなつもりはないが、このブログだって元々は自己肯定感を主軸にして感想を書こうと思っていたのに、いつの間にか風磨くんについてかなりの文字数を費やして図まで作ってしまった。……なんか、そういうとこなんだよな、マジで!

*1:コンサートには好きなアイドルのメンバーカラーの服をきて参戦すべしというのが関ジャニファン界隈の風潮だと思っていたが、セクゾ現場ではカラーギャングが少数派だった。

*2:この友達はハロオタで、うちわはコンサートではなく、メンバーカラーが紫色の友達の誕生日を祝うために作成した。友達のメンバーカラーという概念がある。

*3:菊池風磨のオンナ」、大きいGジャンの襟を抜いて着て、でかいフープピアスにサングラスとM・A・Cの赤リップという感じがする。